BOZEMAN
I−90を東へ。すぐにアイダホ州に入る。
州南部を流れるスネーク川流域が主な産地だが、ポテトで有名な州だ。ここでは最大都市ボイスが州都になっているが、それでも人口は一三万人に満たない。人口密度の低さは農業州の現れでもある。ヘミングウェイが猟銃自殺を遂げた家が、ボイスの近くケチャムという町に今もある。
一時間と走らないうちにアイダホ州の北部を横切りモンタナ州へ入った。
ここでタイム・ゾーンがパシフィック・タイムからマウンテン・タイムに変わる。国土が広いアメリカでは国内で時差があるため、時計の針を一時間進ませる。つまり東に向かう僕にとっては、一時間損をする訳だ。
しかし、アリゾナ州を除いては、本土の全州でD・S・T(daylight saving time)、いわゆる夏時間を採用している。四月から一〇月下旬までのこの時期はD・S・Tで時計の針を一時間進めているので、結局は元通りということか?分からなくなってきた。
モンタナ州の南東部を流れるビッグホーン川は、南北戦争における連邦軍の英雄ジョージ・A・カスター率いる第七騎兵隊第五中隊と、テトン・スー族族長シッティング・ブルとシャイアン族族長クレイジー・ホース率いるインディアン戦士とが戦った場所だ。
一八七六年六月二五日のこの戦いでは、カスター将軍が相手の兵力を読み間違えた。その結果、二八〇人余りの連邦軍は全滅となった。この「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」は、伝説となって今も語り継がれている。だが、その後の連邦軍の猛烈な反撃によって、最終的にインディアンは降伏し保留地に入った。
しかし、「ゴースト・ダンス」と呼ばれるインディアンの宗教が保留地内で急速に広がり始めた。これは、やがて訪れる「白人が消えていなくなる審判の日」が一日も早く来るよう祈って歌い踊るものだった。一八九〇年、サウス・ダコタ州パイン・リッジ保留地内において、ゴースト・ダンスが高じたインディアンと騎兵隊が衝突、「ウーンデッド・ニーの虐殺」が起こった。騎兵隊の無差別に向けられた銃によって、女子供を含む二五〇人のインディアンが死傷した。シッティング・ブルとクレイジー・ホース。二人の英雄もトラブルに巻き込まれ保留地の中で殺された。
これにより、侵略してくる白人に対する、インディアンの三世紀にもおよんだ抵抗の歴史は幕を下ろすことになった。そして、アメリカにおける植民地支配への道が、白人たちの前に開かれた。
現在、サウス・ダコタ州南西部のブラック・ヒルズ山地にある岩山に、馬に跨がったクレイジー・ホースの像が彫られている。四人のアメリカ大統領の胸像がある場所から車で二〇分ほど走った場所だ。半世紀をかけて顔の部分がようやく彫り上がったばかりだが、完成すれば高さ一七〇mを超える世界最大の岩山の丸彫になる。作業は代々引き継がれた白人の家族が中心となって行われているが、現在のスー族の中にはこれに反対する者もいる。彼らはこう言う。
「自然を破壊する必要はない。美しい夕陽や大空を舞う鳥の姿に彼(クレイジー・ホース)を思い出せればよいのだ。」
彼らの魂こそ、現代人が失いかけている、最も失ってはならないものなのかも知れない。
この辺りから、西に向かうアメリカン・タイプのバイクに跨がった男たちをよく見かけるようになってきた。今年からアメリカでもヘルメットの着用が義務づけられたと聞いたのだが、誰もヘルメットなど被っていやしない。革の上下にブーツ、バンダナとゴーグルというお決まりのスタイルだ。タンデム・シートには山のように荷物を積んでいる。一体皆どこへ向かっているのだろう?
小さなガス・スタンドで給油を済ませ、例によって煙草を吹かしていると、黒い革の上下を着た男が歩いて来た。彼の後ろには二台の黒いハーレーが止まっている。
「どこへ行くんだ?」
深く窪んだ目は透明感があるが異様に鋭かった。細く通った鼻梁と肉のそげた頬。真一文字に結んだ薄い唇。長髪を後ろで束ねている。俳優のジョン・ルーリーにネイティブ・アメリカンの血が入ったような、とでも言えば分かってもらえるだろうか。まるで木彫りの彫刻のような、ミーハー的表現をするなら、これほど渋い男を僕は見たことがない。
「アー、ウー。」
思わず緊張して必死に言葉を探した。
「西か?東か?」
彼は相変わらず眼球を固定したままで質問を変えた。
「東。」
ようやく言葉が出た。
男の表情は最後までピクリとも変わることがなく、風貌通りのシンプルなその会話だけでまた走り去った。
一昨日オレゴン州に入ってからずっと豊かな自然が続いている。クリスマスツリーのような針葉樹が密生していたりまばらに立っていたりする中を、僕は快調に飛ばした。時折緑に囲まれた平原が現れてそこにポツポツと民家が見えることもある。芝生の中にポツンと建ち、意味もなく迂回した道路が玄関まで続く。白い壁に薄いオレンジ色の三角屋根、小さな煙突も見える。映画で、軒先にブランコのようなベンチが吊るしてある光景をよく目にする。そこで母親と娘が恋について語り合ったりするのだ。いいアイテムだと常々思っているが、あればぴったりくるだろう。
山間を抜け切ると長い直線に出た。緑の草原が続き、緩やかにうねる大地が遥か遠くまで広がる。地球の丸みは日本でもアメリカでも同じはずなのに、アメリカの地平線は何故かずっと遠い。どこまでも真っすぐに伸びるハイウェイは素晴らしいの一言に尽きた。
ビュートという小さな町を過ぎ、もう一時間も走れば目的地のボーズマンに着く。最後の給油のため、僕はガス・スタンドに寄った。
高架になってハイウェイを横切る道路からハイウェイの合流車線へ、巨大なトレーラーが曲がって行く。日本は道路が狭いので小回りが利くようにボンネットのないトラックばかりになったが、アメリカでも同じようなトレーラーはよく見る。しかし、けん引車の部分だけで普通トラック並みの大きさのあるボンネット・トレーラーはさすがに迫力がある。きれいにペイントされ磨かれたボディも大地と青空によく映える。
「ゴウ、プッシュ、ゴウ、プッシュウ」
豪快な音を立て、屋根の煙突から機関車のように煙を吐きながらトレーラーはハイウェイに合流して行った。僕は、その姿が小さくなるまで見ていた。
(まるで化け物だ。)
あの巨体でやたらとスピードが出るので怖い。
「こんにちは、日本人ですか?」
支払いを済ませ、スナックとコーラを両手にオートバイに向かって歩いていると、背後から声をかけられた。そう言えば店を出る時に、「Pump farst?」と尋ねる日本語訛りの英語を聞いたような気がする。振り返ると、若い日本人の男性がニコニコして立っていた。
「こんな所で日本人に会えるとは思いませんでした。」
確かにかなり辺ぴな所だ。
「バイクですか?いいですね。」
彼はアメリカ車のセダンに乗っていた。やはり同じく日本から来ていて、L・Aからの一人旅らしかった。
「車はどこで手に入れたの?」
「ロスで、中古で買ったんです。」
「へえ。車もいいな。」
オートバイに乗っていると、普段町を歩く時の格好とはどこか違ってくる。僕は、ジーンズにスニーカー、Tシャツにジャケット姿なのだが、それでも何か違うのだ。それに、ちょっとオートバイを離れようにも荷物を置いては行けないし、疲れたと言ってもオートバイの上では寝られない。車に比べると、いろいろと制約がある。しかし、それ以上に、オートバイでしか感じられないものも多い。
「これからは?」
「今日は適当な所まで走って、明日イエロー・ストーンへ行きます。」
「じゃ僕と同じだ。どこまで走る予定なの?」
「ニュ−ヨ−クまで。そこで車を売って日本に帰ります。」
それから彼は、L・Aでちょっと無理な運転をしたために、黒人数人の乗る車に追いかけられた話をした。モーテルの駐車場に逃げ込んだが連中はそこまで追ってきて、結局、現金を幾らか渡してその場は何とか免れたらしい。彼が無事にニューヨークに着けることを祈りたい。僕もだが。
「ひょっとしたらまた会えるかも知れないね。」
そう言って別れたが、その後彼と会うことはなかった。でも、きっと無事に旅を終えただろう。
I−90に戻る。しばらく走ると、ぽこぽこと浮かんだ底の平らな綿菓子のような雲からサーッと雨が落ちてきた。レイン・ウエアーに着替える間もなかったが、すぐにその雨は止み、びしょ濡れにはならずに済んだ。
まだ昼間の明るさが残っているうちに、今日の目的地ボーズマンに到着。三差路を曲がったすぐの所に、ルイス・アンド・クラークという大きなモーテルが建っていた。ルイスとクラークとは、一九世紀始めに東からロッキー山脈を越え、白人として初めて太平洋に到達した二人の探検家の名だ。この辺りの地域も、彼らは探検しているはずである。
モーテルL&Cは、一泊一〇四ドル九五セントと、今までの倍以上の料金のモーテルだった。僕はちょっとためらったが、近くにコイン・ランドリーがあったのでここは奮発することにした。
303と書かれた鍵を受け取って部屋に入ると、さすがに高い料金を取るだけあって設備の整ったきれいな部屋だった。茶バネゴキブリが壁を這っているような宿とは何もかもが違う。
シャワーを浴びてから、洗濯物を抱えていそいそとコイン・ランドリーに向かった。しかし、いざ来てみると今日は閉店であった。
「明日の朝来てやる。」
僕は少々ムキになった。
部屋に戻って洗濯物を置いてから、久しぶりにモーテルの中にあるレストランで食事をとることにした。日記を付けながら食事を済ませ、ゆっくりと食後の酒を飲む。伝票にサインをして、そのまま外に出る事なく部屋に戻る。ただこれだけで、僕は随分と贅沢な気分だった。どうやら貧乏が身に染み込んできたようだ。
部屋に戻ってテレビを眺めるが、相変わらず内容が分からない。チャンネルを変えるとちょうど天気予報をやっていた。明日も天気は良さそうだった。
六月頃だったか、日本のニュース番組で、アメリカを襲っている異常気象の様子を見た。大雨で道路が寸断されて孤立した町や、大規模な森林火災の映像がブラウン管には写っていた。あんなところへ行くのか、と不安になったものだが、いざ来てみると時折雨が降る程度のツーリング日和が続いている。このままこんな日が続けばいいのだが。
走行距離 六九五km/三二五八km
八月一三日 二一時四〇分
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