Sorry... This page is using JavaScript.
8.30 KEYWEST ≫≫

COCOA


 出発して間もなく、小雨が降り始めた。
「もう降り始めたか。」
 朝、目覚めてカーテンを開けた時から、青空の期待は捨てていた。頭上に広がる雲は、所々に切れ間も見えている。そして、さらに上空の空の青さを、かすかにだが透き通らせていた。しかし、重そうに沈んだ空気は、天気が回復に向かうときの前向きな暗さではなかった。小雨の降る範囲はかなり狭いようで、パラパラっと降ったと思えば数十秒ほどでその下を抜けることが出来る。このところ続いている雨模様の天候だが、僕の方はと言うと、すっかりそれには慣れてしまっている。もちろん晴れているに越したことはない。次第に、オートバイや身体に当たる雨粒の大きさが大きくなってきた。僕は、路肩にオートバイを止めて袋からレイン・ウェアを引っ張り出した。路面の雨が蒸発して辺りに漂っていて、ハイウエイ上に立っているとムッとするような暑さである。
 レイン・ウェアの上着のジッパーを上げながら、屋根の煙突から煙を棚引かせて向かってくるトレーラーの姿を遠くに見ていた。ズボンに左足を通すと、トレーラー独特のコーンと言うようなロード・ノイズがだんだんと大きくなって響いてくる。僕は、ひらひらと棚引くもう片方のズボンを目がけて右足を上げた。
「ブゥオワーッ。」
 爆風と共にトレーラーが過ぎ、ひらついていたレイン・ウェアは風に巻かれてねじれた。右足の出口を塞がれて、僕は片足立ちでよろめいた。
 真横を通り過ぎるトレーラーはとにかく巨大で、あっと言う間に走り去って行く。もともとそうなのかエンジンをいじってあるのか、連中はかなりの馬力がある。今まで出会った中で最も速かったトレーラーは時速一六〇km。真っすぐに伸びるハイウエイを、唯我独尊状態で走っていた。そして、追い越されるときの僕は、猛烈な風圧で蝶々のように隣でひらひらしていた。


 僕は再びオートバイに跨がって、フル・スロットルでギアをつないで本線を加速した。普段は低いGPZのエンジン音が、回転を上げると甲高い音に変わる。
 一昔前、走行距離一〇万kmが四輪車の寿命と言われていた。現在はそれもかなり延びてきたらしい。一方で、オートバイはエンジンの回転数が上がる分、車と比べると寿命がかなり短い。ピストンがより激しく上下するのだから仕様がないが、二万kmも走れば「結構走ってるね。」と言われてしまう。現在、僕のGPZの走行距離は、一五〇〇〇kmを既に過ぎている。可愛そうに、まだ三年落ちなのだが。しかし、ヨーロッパに向けて輸出されたコイツが、日本に逆輸入されて、今はアメリカを走っているのである。贅沢な話ではないか。本人はどう思っているか知らないが。


 途中、幅の広い川を渡ると、大きな標識が見えてきた。インター・チェンジが近いらしい。標識には、インターからI−26に乗って東へ向かえば、海岸沿いのチャールストンへ向かうと書いてあった。
 南へと向かうにつれて、雨脚はだんだんと強くなってくる。雨の降る中を高速で走るのは緊張するものだが、今はもうその緊張はなくなっている。一番の理由は、恐らく周りのドライバーのマナーの良さだろう。日本の高速道路を走っていると、無理な割り込みをしたり、不用意にブレーキを踏むなどのマナーの悪いドライバーによく出会う。スリップしやすい濡れた路面状況で、前の車がいつブレーキを踏むかと神経を遣って走るのは疲れるものだ。その点アメリカのドライバーは、周囲との関係によく注意を払っていると思われる。こちらでは、雨でも時速一二〇kmから一四〇kmとかなり流れが速い。それは、ドライバーのマナーの良さと、お互いの信頼の現れでもあるのだろう。そのスピードでも安心して走っていられるのだ。
 そうなると、雨の中での走行にも問題はない。レイン・ウェアを着ているし、タンデム・シートに縛ってあるバッグも完全防水仕様である。高速走行中では雨滴がヘルメット・シールドに付くこともないので視界も悪くはない。却って、オートバイに付いた小さな虫をきれいに洗い流してくれるので、時には歓迎してもいいほどだ。
 そして何より、雨の中を走っている時にだけ感じられる孤独感がある。独りとは言え、自然環境に包まれている実感は常にある。しかし、雨が強くなるほど、僕を取り巻いていた自然を感じることが出来なくなってくる。景色が消え去り、雨の中に僕が一人でいるだけになる。晴れていた時には耳に入っていた音も、雨のカーテンに遮断される。その中を、同じ姿勢でただオートバイを走らせる。つまり、何の刺激も受けない特別な孤独感を味わうことができる訳だ。そんな時、僕は目を閉じている時のように無心でいられ、それはそれで安らかな孤独感を得ることが出来るのである。


 走り出して一時間半余り。I−95は州境を越えてジョージア州へ入った。
 ジョージア州は、黒人問題を現在にまで色濃く残す州の一つと言える。
 南北戦争でジョージア州が加わった南軍は、一八六五年に連邦軍に敗れている。その後の連邦政府による再建時代に奴隷制は廃止され、広大なプランテーションも小作制へと再編成された。黒人たちは解放され、奴隷としてではなく、自由な労働者として小作農となって農業に従事した。それまでは奴隷主の所有物とされて結婚まで主人に管理されていたが、その拘束からようやく解かれたのである。彼らにも参政権が認められ、州によっては州議会の議席の多数を黒人が占めるまでになった。サウス・カロライナ州に於いては、その議席数は白人の二倍にも及んだ。
 しかし一方では、黒人に対する暴力行為を組織で行うKKK(クー・クラックス・クラン)と呼ばれる白人の秘密結社も結成された。彼らは皆、目や口などの部分に穴を開けた独特のマスクを頭から被っていた。やがて彼らの黒人に対するあまりに残虐な行為が社会問題となり、政府は強制法を成立させて一八六九年にこれを解散させた。ただ、KKKを名乗る白人は、現在でも少数ではあるが存在している。
 一八七七年、連邦政府は主に政治的理由によって南部の再建から手を引いた。これによって、南部各州は再び黒人の選挙権を剥奪し、生活上のすべてにおいて黒人と白人を分かつジムクロウ制度を制定していった。政府は、再建を終えるに至った政治的背景からこれには干渉しなかった。
 アトランタはジョージア州の州都だが、アメリカ南部の中心都市でもある。コカ・コーラやCNN(ケーブル・ニュース・ネットワーク)本社もここにある。また、アトランタはマーティン・ルーサー・キング牧師の故郷でもある。黒人差別に対する抵抗運動を行っていたキング牧師は、一九六三年にワシントンD・Cで大行進をした。
「私の子供達が、肌の色ではなく人格で評価される世の中が訪れる。私の子供達が、肌の色に関係なく他の子供達と仲良く遊べる世の中が訪れる・・・。」
 この時彼は、「私には夢がある」として以上など五つの夢を演説の中で叫んだ。
 オーガスタ・ゴルフ・トーナメントの開催地であるオーガスタも、ジョージア州の北東部の町だ。一九三四年から開催されている世界的に有名なこの大会もまた、長く黒人選手の参加は認められていなかった。ただ、キャディだけは全員が黒人だった。この大会で、若い黒人選手タイガー・ウッズが最年少記録を破って優勝した。この時、優勝者に贈られるグリーンのブレザーに袖を通したウッズに、「黒人には似合わない。」と言い放った白人男性の言葉は、今でも耳に残っている。
 現在のアトランタの人口に占める黒人の割合は七割に近い。彼らは積極的に社会での役割を果たし、社会的に成功を収める者の数もかなり増えた。一九七一年以降は黒人の市長が市政をつかさどっている。しかし、長年に及んだ白人と黒人との隔壁は今なお根強く残っている。次の世紀には消え去るだろうとの予測すら、楽観的であると言えるかも知れない。


 この辺りは、まだ雨は降っていないようだった。その下を抜け出した雨雲もすぐには追いついて来そうにない。そろそろ残りの燃料も乏しくなってきた頃だ。にわかに覚えてきた空腹感や喉の渇きも満たすためにも、僕はハイウエイを降りた。


 ガス・スタンドの隅に座って、僕は広げた地図を眺めていた。喉が渇いていたのでコーラを呷ったせいか、先ほどからゲップが止まらない。
 風が少し出てきたようだった。少し湿った風だ。雨を運んで来なければいいが。
 このままのペースで走って行けば、今日中にフロリダ半島に入る事が出来るだろう。東海岸の南に大きく突き出たフロリダ半島。その付け根から先端までは、およそ四〇〇マイルの距離がある。キロメートルに換算すると六五〇kmほどだ。往復するには二日間は必要だ。L・Aで立てた計画では、半島の東側を南下してデイトナ・ビーチとマイアミでそれぞれ一泊。その後、西回りで半島の付け根のレイク・シティまで一日で戻って来ることになっていた。しかし、それは二六日から二八日にかけての予定である。本来ならば、今日二九日にはフロリダ半島を抜けてニュー・オーリンズに入っていなければならない。自由にどこへでもとは言っても、それも期日までのことである。今は考えたくないことだが、こんな僕にも社会人として帰国してからの仕事がある。
 フロリダ州に入るとすぐに、ジャクソンビルという町がある。そこから、半島へは入らずに西へ向かうハイウエイI−10が走っている。そのハイウエイを走れば、明日にはニュー・オーリンズに着けるだろう。それでも一日遅れであるが、それからの一日の走行距離を伸ばせば予定に追いつくことも不可能ではない。しかし、どうせなら合衆国を一周と思って立てた計画である。そのために耐久レースさながらの様相を呈してきた訳だが。ゆっくり見て回ることが出来ないにしても、フロリダ半島を回らずに一周とはやはり納得が行かなかった。
 それに、最初の計画には入っていなかったが、今はどうしても走ってみたい場所があった。フロリダ半島の南端からこぼれるようにして小さな島がいくつも連なって浮かんでいるが、大西洋とメキシコ湾を分けるフロリダ・キーズと呼ばれるその島々の先端にキー・ウエストがある。長さ六km、幅三kmのアメリカ本土最南端の島である。半島からそのキー・ウエストまでの距離は一六〇km。そこまでは、小島を結んで架けられた四二の橋を渡ることになる。その橋の中に、青い海に浮かぶように水平線の彼方へと延びる、白く一際美しい橋がある。セブン・マイルズ・ブリッヂと呼ばれる橋である。テレビ・コマーシャルで初めてその映像を見たとき、僕は実存する橋だとは思わなかった。コンピューター・グラフィックスで作られたものだろうと思った。しかし、後になってそれが実存する事を知った。今は、何としてもその橋を渡ってみたかった。
 缶に入ったコーラを空にして、僕は煙草を取り出して火を点けた。空を見上げると相変わらずの曇り空だが、雨が降るような気配は今のところまだなかった。さっきまでバサバサと地図をあおっていた風も止んでいる。
「行こう。後は何とか調整すればいい。」
 僕はそう決めた。L・A到着までに残された日数は、今日を入れてちょうど一週間。もともとが強行軍の計画だっただけに、キー・ウエストまで行って、更にもう一度大陸を横断出来る日数でないことは明白だった。調整の言葉には、仕事上の約束の変更という意味合いも含まれていた。今の僕には、今がすべてなのだ。
 結論が出ると時間が惜しくなってきた。僕は、立ち上がって出発のための支度を始めた。


 ミシシッピ川の東側にある州の中では、ジョージア州は面積が最も広い。しかし、ジョージア州が大西洋に面しているのは、およそ一〇〇マイル程だ。もっとも、ミシシッピ川より東側にある州は、西側にある州に比べると全体に面積は狭い。オルタマハ川を渡り、ブランズウィックを抜ける。東海岸の近くを通っているI−95は、一時間半と経たないうちにフロリダ州へ入った。
 フロリダと書かれた標識を見ると気持ちが浮かれてくる。フロリダと言えば、思い付くのはやはりマイアミだ。白い砂浜と照りつける太陽。そして、水着の美女にカクテルと真っ赤なオープン・カーとくる。平均気温二〇℃、日中は二五℃まで上がるマイアミの冬は、冬とは言えない。常夏のリゾート地である。フロリダ州の州都はマイアミだと僕は思っていたが、実は半島の西の付け根にあるタラハシーという町が州都になっている。


 フロリダ州には、マイアミ以外にもたくさんの観光地があるので、資料を基にまとめてみた。興味のある人にだけ。
 まずフロリダ州を走る主要な道路を説明しておこう。半島の東側大西洋岸沿いをI−95とU・S1が、西側メキシコ湾沿いをI−75とU・S41及び19が走っている。そして、半島を南北に分けるようにI−4が横切っている。
 大西洋岸沿いを北から南へ進むルートで巡ってみると、半島の付け根にあるジャクソンビルを通過して、U・S1はセント・オーガスティンに入る。ここは、スペイン人ペトロ・メデンデスによって一五六五年に建設されたアメリカで最も古い町である。人口一五〇〇〇人ほどの小さな町だが、三〇〇年前に造られたサン・マルコス砦や、アメリカ最古の教会や木造校舎、博物館などがあり、美しい跳ね橋ライオン橋からは観光馬車が出発する。一八世紀の町並みを復元したスパニッシュ・クオーターには、地域色、民族色あふれる土産物店や、レストランなども並んでいる。そこかしこに、昔ながらのスパニッシュの風情が漂う町だ。
 セント・オーガスティンを出て、五〇マイルほどでデイトナ・ビーチに着く。世界的に有名なカー・レースが開催される町だ。比較的空いている砂浜は、車の乗り入れが許可されている。
 デイトナ・ビーチから、I−4に乗って半島内部に向かって今度は西に進んでみる。五〇マイルほど走るとオーランドに到着する。「夢の世界」への入り口の町である。オーランドのダウン・タウンからI−4Southに乗り、点在する小さな湖の中を一〇マイルも走ると、広大な「W・D・W」(ウォルト・ディズニー・ワールド)が広がっているのだ。マジック・キングダム・パーク、エプコット・センター、ディズニー・MGM・スタジオの三つのテーマ・パークからなるこの夢の世界は、総敷地面積が一一〇平方kmと途方もない規模を誇る。これは、七六万人が暮らす世田谷区の倍近い広さだ。すべてを見て回ろうと思えば、最低四日間は必要になる。
 W・D・W以外にもまだまだある。さらに南へ下った「サイプレス・ガーデン」は、W・D・Wには負けて劣るが九〇万平方mに渡って湖畔に広がっている。八〇〇〇種類もの世界中の植物が見られる他、湖には遊覧船が浮かび、水上スキーなどのショーも繰り広げられている。どこでガーデンとつながるのかは分からないが、アンティーク・ラジオの博物館もある。
 サイプレス・ガーデンから少し北に戻ると、世界最大級のマリン・パーク、「シー・ワールド」が広がる。イルカやクジラなどのショーはもちろん、ここでも水上スキー・ショーが繰り広げられる。そして、一五種類のウォーター・スライダーが楽しめる「ウエットン・ワイルド」がここの名物だ。趣向を凝らした数々のスライダーの中で最長滑降距離を誇る「マッチ・ファイブ」は、何と長さが七六二mもある。他にも、九一mの距離をひたすらぐるぐる回りながら落ちる「ブルー・ナイアガラ」などは、三半規管の未発達な僕にとっては拷問にも近い素晴らしいものだ。
 映画をテーマにした「ユニバーサル・スタジオ」だってある。L・Aにもあるが、こちらの方がはるかに広い。少し南東に離れて、五〇〇〇匹ものワニがうようよする「ゲーター・ランド」。ひとしきりワニショーを見て楽しんだら、次はレストランに行ってワニのから揚げを楽しもう。
 これら以外にも、この周辺にはまだ多くのテーマ・パークがある。ホテルやレストラン、ショップなどもオーランドやその周囲には数多く存在している。しかし、世界中から訪れる観光客の数は、そのホテルの部屋数をはるかに超えているのが現状だ。僕のようななかば放浪者的旅行者には、よほど時期を選ばない限り野宿をするより他に術はない。
 オーランドを出発。State50で東海岸に戻ってNASAパークウェイを進むと、「ケネディ・スペース・センター」に入って行く。この基地からスペース・シャトルが打ち上げられるのだ。本物のロケットを間近で見ることも出来る。ここもまた広大で、センター内をツアー・バスが走っている。
 U・S1をまた南に向かって走ると、サーフィンのメッカであるココア・ビーチ、インディアン・ハーバー・ビーチなどが続く。他にはパーム・ビーチやボカ・ラトンなどのビーチがあるが、ここらは一言で表すならSuperRichである。その高級さは半端ではない。そして、運河の町フォート・ローダーデール。アメリカのヴェニスとも呼ばれるこの町には、水上タクシーが行き交い遊覧船も浮かぶ。フロリダ最大のマリーナもある。
 大西洋岸沿いを更に南下するとマイアミに到着する。マイアミはビーチとダウン・タウンが湾で隔てられているので、ここでは別のブロックとして考えたほうが良さそうだ。道路で結ばれているので行き来は簡単に可能だ。まず、ダウン・タウンは高層ビルの立ち並ぶ近代的な都市で、都会での遊びや楽しみは何でも揃う。少し郊外に出て、オレンジ・ボウルでアメ・フトを観戦するも良し、博物館や水族館に出掛けてみるも良しだ。市バスやグレイハウンド・バス、モノレールを利用すればどこへでも簡単に行くことが出来る。ビーチに出れば、南寄りの6thから23rdStにかけてのアール・デコ・ディストリクトと呼ばれる地区には、一九三〇年代のアール・デコ建築のホテルが並んでいる。その数は八〇〇以上。これは、マイアミならではの景観だろう。美術館などもあるし、時間を忘れてビーチで横になって降り注ぐ陽射しを浴びるのも結構だ。砂浜が天然のものではなく人工であるということはこの際忘れよう。
 半島の先端に広がるエバー・グレイス国立公園は、数あるアメリカの国立公園の中でも唯一の亜熱帯性の公園だ。そもそも湿潤な熱帯性の気候自体、広いアメリカの国土の中でもこの辺りにしか見られない。真冬でも平均気温が二〇℃近くと暖かく、年間で一五〇〇mmの雨が一年を通して平均的に降る。また、この原生自然地域は、大変に貴重な生態系を残すことでも知られている。五六〇〇〇平方kmという東京都の二倍以上もの広さを持つ公園内には、三〇〇種の鳥類、六〇〇種の哺乳類、四五種の植物が生息している。一九七六年に生物保護区、七九年には世界遺産にも指定されたが、周辺地域の改革の余波を少なからず受けて来ており、現在は環境保全の為の調査や管理が熱心に進められている。
 エバー・グレイス国立公園を出発したら、半島の西側メキシコ湾岸に沿って北へ向かおう。本来なら先にキー・ウエストへと向かうわけだが、後で実際に僕が行くので、ここでは省略させてもらう。
 半島の中ほどまで北上すると、タンパ、セント・ピーターズバーグという町に着く。大きく入り組んだタンパ湾の入り江にセント・ピーターズバーグ、奥にタンパがある。どちらも発展した賑やかな街である。タンパから北東の方向に三〇分ほど走ると「ブッシュ・ガーデン」があるが、ここは遊園地と動物園を併せたテーマ・パークである。敷地面積が三〇万平方mとここもまた広く、園内はモノレールや蒸気機関車などを利用しての移動も可能だが、やはり丸一日は必要となる。また、タンパから西へ三〇分もドライブするとメキシコ湾に出るが、そこには五〇kmもの距離に渡って一〇を越えるビーチが続いている。これらのビーチの特色は、大西洋岸の黄色っぽい砂浜やマイアミの人工の砂浜とは違い、漂白をしたような真っ白い砂浜だ。


 資料片手に地図の上でフロリダを走ってみたが、フロリダはまさに州全体が海に突き出た一つのテーマ・パークと言える。自然公園、遊園地、博物館、美術館、ビーチ、都市などの様々なアトラクションを取り揃えた巨大パークであり、世界中から訪れる人々を楽しませてくれる。カリブからは、海を越えて猛烈なハリケーンまでもがやって来る。
 今回、このテーマ・パークを急ぎ足で駆け抜けなければならないのは、大変に残念である。しかしこうして見てみると、このフロリダを楽しむのに一人では、残念以上に寂しい思いをする事も目に見えている。またいつか、オープン・カーでもレンタルして、贅沢に時間を使ってパートナーと楽しめる日が訪れることを期待しよう。無論、そのパートナーが男であっては周囲の視線が気になって楽しむどころではなくなるので、くれぐれも相手は選びたい。


 腕時計を見ると午後五時を過ぎていた。
 I−95は、セント・オーガスティン、フラグラー・ビーチ、オーモンド・ビーチなどを過ぎている。やがて大きな標識が現れて、I−4とのジャンクションが近づいてきた。交叉してくるI−4は、内陸の町オーランドを経て、半島の反対側のメキシコ湾に近いタンパまで続いている。
 遥か彼方に浮かぶ水平線まで連なった真っ白な積乱雲。遠くの雲はここからだと随分と小さく見える。エメラルド・グリーンの海面は、カリブからの風に煽られて所々に白波が立っていた。バニラ入りソーダ・アイスのようである。僕は、波間に漂うボ−ド・セーラーをまばゆい太陽に目を細めて眺めていた。カラフルなセールは蜃気楼のようにアイスの上を滑っている。強い陽射しの中では、すべてが白っぽく見える。真夏の太陽に照らしつけられた道路やヤシの木が陽炎で揺らいでいた。立ち止まると、じりじりと焦がされて溶けてしまいそうだ。
 そんな、常夏のフロリダ気分を味わってみたい。曇天で暗くよどんだ一面の景色を眺めながら、僕はひたすらハイウエイを南に向けて走った。
 東部地域一帯は、古くから工業地帯として発展している。そのため、ここ一週間ほどは工場や倉庫などの姿も目立ち、ハイウエイからの眺めは決して良いと言えるものではなかった。それでも今日辺りからは、そのようなすすけた無機質な風景を見ることもほとんどなくなっていた。工場の煙突や錆びたパイプばかりを見ているよりは、やはり何もなくても自然の姿を眺めているほうがよほど気分がいい。例えそれが曇天でもである。


 午後六時近くになって、僕はココアでハイウエイを降りた。それから一般道を海の方角に向かい、しばらくは小さな町の中を走り回った。モーテルに入る前にオートバイのショップを探そうと思ったのだが、なかなか見つけることが出来なかった。実際には一軒あったのだが、日曜日だからかクローズの小さな看板が出されていた。ショップがある時は決まって日曜日でどこも休みなのだ。僕は今日のショップ探しを諦めることにした。
 しかし、夏休みの日曜日だと言うのに、町を行く人や車の姿はまばらだった。曇り空とも相まって、季節外れの海岸の町にやってきたような寂しさがある。町のあちこちで見られる店先にボードを立て掛けたサーフ・ショップにも、出入りする客の姿はない。
 午後七時を過ぎた頃、僕は白いペンキで塗られた木造二階建のモーテルへ入った。部屋に荷物を下ろしてから、絞ったタオルを手にして駐車場に出てGPZを磨く。チェーンを見ると、たわみがまたひどくなっていた。僕はスパナを引っ張り出して、チェーンを張る作業に取り掛かった。作業と言っても、後輪の左右に付いているボルトを回してやるだけの簡単なものだ。
 きれいになったGPZをひとしきり満足気に眺めてから、僕は部屋に戻ってそのままシャワー・ルームに入った。カーテンで仕切られた狭いスペースの中に、壁に固定された錆び付いたパイプが伸び、頭上でしおれたひまわりのように垂れている。パイプの途中には、これも錆びた栓が付いている。この、海水浴場の海の家にでもあるような造りのシャワーはどこのモーテルに行っても大差なかった。しかし、幾ら慣れたとは言え、固定されたシャワーはやはり不便だ。しおれたひまわりの下でぐるぐる回らなくてはいけない。どこかのドラッグ・ストアで買った安物のシャンプーも髪をきしきしさせる。それでも、一日中ヘルメットを被ってぺちゃんこになった髪を洗うと、頭が軽くなったようにすっきりと爽快な気分だった。
 GPZを磨きシャワーも浴びた。後はビールで喉を潤すだけである。そう考えると、僕は居ても立ってもいられなくなって服を着て部屋を飛び出した。


 僕の質問に対して、目の前で首を横に振るウエイトレス。今の僕のショックの大きさを彼女は知らない。確かに、彼女には全く関係のないことである。駆け込んだレストランには、ビールが置いていなかったのだ。サウナ・スーツを着てサウナに入るように、蒸し暑い中をレイン・ウエアを着て走るのは大変に喉が渇くものなのだ。シャワーを浴びた後では尚更である。僕は、コーラとステーキを彼女に注文した。
 コーラで喉をごまかしながら、僕は運ばれてきたステーキを大きくカットして口に放り込んだ。しかし、ビールがなかった事への腹いせで言うわけではないが、そのステーキの味はひどいものだった。走り終えた後のくつろぎのひとときに、食事とアルコールをいかに上手くコーディネートするか。この出来不出来を、僕は一日の締めくくりとして大変に重要な問題としていた。今宵は、散々な結果となった。


 喉の渇きは癒され空腹も満たされはしたものの、大いに物足りない気持ちで僕は店を出てモーテルに戻った。部屋に入って煙草に火を付ける。テレビのリモコンを手にして肩肘を突いてベッドに横になり、僕はテレビのスイッチを入れた。しばらく意味の分からないニュースらしき番組が放送されていたが、その後天気予報が始まった。小さなブラウン管に映ったアメリカ東部の地図に、各地の気温が表されている。フロリダ近辺には八五とか八七の数字が書かれていた。見るからに暑そうな数字である。しかし、華氏から摂氏への変換表を見るのも億劫なのでそのまま眺めていると、続いて衛星写真の雲の様子が映し出された。見ると、どうやらハリケーンが近づいているようだった。
 フロリダには、マイアミを中心として、キューバなどカリブ諸国から来たたくさんの人々が移民として生活している。余談になるが、その移民に関するテレビ番組を以前に見たことがある。それによると、キューバなどからの密航者は、途中で警備隊に捕まらずにアメリカに上陸すれば移民として認められるらしい。波打ち際かそれとも立てるだけの浅瀬かその境界線がどこだったかは記憶していないが、犯罪者でもある密航者が一歩アメリカの土地の上に立てば移民として認められるのである。番組では、警備隊と密航者との間で海辺に於ける熾烈な鬼ごっこが展開されていた。僕はつい失笑してしまったが、彼らにとっては真剣そのものであった。
 キューバからアメリカへの亡命者が後を絶たない背景には、一九五九年のカストロによるキューバ革命が大きな要因になっているが、今では、彼らはアメリカの政治や文化に大きな影響を与える存在にもなっている。カリブに吸い寄せられるように南へ伸びるフロリダ半島。そこから橋によってつながれた島々の先端にあるキー・ウエストは、半島までの距離よりもキューバまでの距離の方が近い。フロリダは、地理的にも社会的にもカリブ諸国と密接な関係にあるのだ。そして、招かれざる客として麻薬と共にカリブからやって来るのがハリケーンである。このハリケーンがアメリカに与える影響もまた大きい。キー・ウエストへと続く海上ハイウエイも以前は鉄道だったのだが、一九三五年にハリケーンによって破壊された事がある。
 僕は、ブラウン管に映った渦を巻いた雲と英語で書かれたハリケーンの文字を見て、少々心配になってきた。しかし、天気予報の解説者が何を言っているのか分からないので、僕はそこに希望を持つことにした。来るかどうかは分からないのだ。





走行距離 七八〇km/一〇一七六km
八月二九日 二二時四八分


NEXT 8.30 KEYWEST