CODY
朝一番にコイン・ランドリーに行く。
早いものでアメリカに来て一三日が経つが、洗濯は今日が初めてだった。ジーンズ一枚、下着四枚、Tシャツが四枚。思えばこれでよくもったものだ。もちろん普段は毎日新しいものに換えている。
洗濯機が止まり、衣類を乾燥機に移す。ガイド・ブックを読みながら小一時間を過ごして、ふわふわになった衣類を抱えてモーテルに戻り、支度を整えてチェック・アウトした。
ここはロッキー山脈の中になるため、標高が高く、オートバイで走っていると厚手のジャケットを着ていてもかなり寒い。八月の半ばだと言うのに、まるで真冬の朝のように空気は冷え切っていた。STATE191を南に行くと、並行して流れる小川が見え始め、周囲は次第に山に囲まれた。道路脇にキャンピングカーを停めて、道端に立てられた木製の案内板や小川を眺めている家族連れの姿なども時折見える。
山間を縫うようにして走ること一時間半余り、標高二〇三二mにあるイエロー・ストーン国立公園の西のエントランスに着いた。料金所のブースで入園料を支払うと、領収証といっしょにB6サイズの黄色い紙切れを手渡される。ブースを抜けてから、オートバイを止めてその紙切れを見た。
見出しには、大きく「WARNING」と書かれていた。警告とか何とかいう意味だが、その下の本文も読んでみる。なになに・・・多くの観光客が、バッファローに突き刺されている?バッファローの体重は二〇〇〇ポンド。走る速さは時速三〇マイルであなたの三倍速い。これらの動物はおとなしそうにも見えるが、乱暴で、予測が出来なく、危険だ。バッファローには近づくな・・・だと?
簡単な英文だったので僕でも理解できたが、ご丁寧にバッファローに跳ね飛ばされている人の絵まで実にリアルに描かれている。ここにはバッファロー以外にも、鹿、羊、ペリカン、大ネズミにコヨーテやグリズリィまでもが棲息しているらしい。正直僕は少しビビッていた。しかし、今さら引き返すこともできない。でもまあ、大勢の観光客が来ているのだから大丈夫だろう。
期待と不安を入り交ぜて公園に入った。マディソン川が合流してくる辺りで、「平等の州」ワイオミング州に入る。全米で初めて女性の参政権を認めた州として、このニック・ネームが付いている。州の南東部にあるシャイアンが州都になっており、豊かなエネルギー資源のおかげで所得税がないという羨ましい州だ。このイエロー・ストーン国立公園は、アイダホ、モンタナ、ワイオミングの三州で共有されているが、ほとんどはワイオミング州内にある。
それほど道幅の広くないカーブの続く道を、マディソン川に沿って一四マイルほど走るとマディソンに着いた。マディソンには、管理人詰所やキャンプ場、ピクニック・エリアなどがあるが、こういった施設は、広い公園内の至る所に設置されている。
ここから道路は北と南に別れる。この公園を回る道路は、大きく8の字型になっている。ギリシャ文字の「θ」の字型と言った方が正確だが、上の輪がアッパー・ループ、下はローワー・ループ、そして、アッパーとローワーが共有する部分を除いた外周がグランド・ループと、それぞれに名前が付けられている。マディソンは、ローワー・ループの西側にある。
アッパーとローワーの両方を8の字にぐるりと見て回れればよいのだが、この公園は大変に広い。とにかく広い。全体では東京都の倍以上の広さになり、アッパーだけで七〇マイル、ローワーは九六マイル、外周だけを回るグランド・ループで一四二マイルにもなる。パンフレットの地図を眺めていても、とてもそれほど広くは見えないのだが、そう書かれているのだから実際にあるんだろう。
見所としては、まずローワーを代表するのはオールド・フェイスフルだ。ここでは、一日に二十二回、必ず決まった時間に高さ五十mにまで熱湯が吹き上がる。あまり時間通り律儀に吹き出すので、この名前が付けられたと言うことだ。他にもローワーには、北アメリカにある山地の湖の中で最も大きなイエロー・ストーン・レイクや、落差九〇mの滝ローワー・フォール、幾つもの温泉がかたまって沸き出しているローワー・カイザー・ベイスン、そして、美しい渓流イエロー・ストーン・リバーなどがある。
次にアッパーには、温泉から流れ出した石灰が少しずつ沈殿して段々畑のようにになったマンモス・ホット・スプリングスがある。湯気に包まれたその白い段々は、公園の中でもベスト・スポットの一つらしいのだが、アッパーにはそれ以外に特に見るものはない。おまけに、マンモス・ホット・スプリングスはアッパーの最北端にある。キャンプ場を転々としながら時間をかけて見て回れる人は別だが、あまり時間のない人には、ローワーだけを回るコースがおすすめだ。
僕は、今朝コイン・ランドリーでガイド・ブックを読んでいる時に、グランド・ループを回ることに決めていた。マディソンから南に下り、ローワーを反時計回りに進む。
十分ほど走ったところで、ローワー・ガイザー・ベイスンに出た。駐車場の隅にバイクを止めて歩いてみると、日本の尾瀬にあるような、板の通路を渡した浅い池が見えてきた。池からはうっすらと湯気が上り、辺りに硫黄の匂いが立ち込めている。通路を行くと、浅い大小の池の至る所でボコボコと熱泉が沸き出していた。池の水は透明でとても澄んでいるが、底が淡い緑やオレンジ色をしている。穴の中から熱泉がモヤモヤと涌き出してくる様子もよく見えて不気味な光景だった。まるで地獄絵図でも見ているようだ。
幾つもの熱泉から上る湯気や、それほど高くはないが吹き上がる間欠泉などを周囲に見ながら、次のスポットに向けて僕はオートバイを走らせた。間欠泉など見るのは生まれて初めてだ。
オールド・フェイスフルと書かれた標識に従って本線をそれて行くと、大きなビジター・センターやレストラン、ガス・スタンドが見えてきた。ちょうど夏休みということで、かなりの人出で賑わっている。僕は、広い駐車場にオートバイを停めて人込みの中に入った。
正面に温泉らしい大きな池があり、手前の通路に並べられたベンチにはたくさんの人が腰をかけていた。間欠泉が吹き上がるのをそうして待っているのだろう。人だらけのビジター・センターに入って行くと、壁には時刻表が貼られている。オールド・フェイスフルの吹き上がる時刻表だ。時計を見ると、次のショーまでは一時間近く待たなければならなかった。
これには困った。今日は一日かけてグランド・ループを回って、それからボーズマンに戻るという、「イエロー・ストーンのための一日」を予定していたのだが。一時間くらいと思う人も多いだろうが、何が出るか分からない山道を、暗くなって走るなんて事はとてもじゃないが出来ない。平原のような所でも車に撥ねられて路肩に横たわっている動物をたくさん見てきたが、車ならボディのへこみで済むようなことでも、オートバイだと僕の命にかかわる。ましてや、ここはバッファローが突進して来るような所なのだ。
僕は、エントランスでもらった公園の地図を広げた。この間欠泉は、一番楽しみにしていた場所なのでやはり見たい。しばらく考えた末に、アッパーはあきらめて、ローワーの途中から東のエントランスを出てどこかその先の町へ進むことに決めた。
一時間の待ち時間を、レストランで過ごすことにする。毎晩ステーキばかりを食べているので、今くらいは肉をやめて、サンドウィッチとコーヒーを注文した。日本で味の薄いコーヒーをアメリカンと言うだけに、こちらのコーヒーは薄味だ。もちろん、アメリカン・コーヒーとは日本だけのもので、アメリカでそう言って注文しても、サービス係が首を傾げるだけだ。
軽い食事を済ませ、今度は売店に入って中をうろうろして結局何も買わず、また隣の売店に入る。どこも人でいっぱいだが、日本人の姿も何組か見かけた。二、三人の女の子で来ているグループが多いようだ。
時計を見ると、そろそろショーが始まる時間だった。大きな池があった方へ行ってみると、いつの間にか池の前の通路は大勢の人で埋め尽くされていた。人込みの中に入り込んで行くが、さすがにこの国には背の高い人が多く、なかなかいい場所を見つけることが出来ない。何とか池の見えるところまで行ってカメラの電源を入れてじっとショーを待つ。
いよいよだな。今まで静かだった水面が、まるで息をするように少しずつ盛り上がってきた。時々、一メートル位の高さまで水柱が上がる。その度に観客はどよめいた。さすがに相手もなかなか見せ方を心得ていらっしゃるようで、我々をじらしてくれる。
(中に誰か入ってんじゃないのか?)
ジョワッ、ジョワッ、ジョワッ、ゴーッ!
そう思っていると、泡を含んだ真っ白な水柱がみるみる盛り上がり、一気にかなりの高さまで吹き上がって行った。
「キャー。」
「ワオーッ。」
歓声と拍手が沸いた。待たせるだけのことはあって、これは大した迫力だ。僕は、カメラを向けてシャッターを押した。
「・・・?」
動かない。
ローワー・ループに戻って走っていると、グランド・ティートン国立公園へ向かう道路との分岐点ウエスト・サムに差しかかった。
数多いアメリカの国立公園の中で最も美しいとされているグランド・ティートンは、西部劇「シェーン」の舞台にもなった場所だ。舞台設定はアラバマ州になっているようだったが、少々古い映画だ。海岸沿いの砂浜のような湖畔をもつジャクソン湖をはじめとする幾つかの湖が点在し、バックには四〇〇〇メートル級の切り立った山脈が連なっている。南に空港があり、デンバーやソルト・レイク・シティからの定期便も離発着している。ウエスト・サムからの距離はおよそ四五マイル。おすすめスポットだが、今回僕は残念ながらパス。理由は先述の通りだ。時間がない。
ウエスト・サムを通り過ぎると、イエロー・ストーン湖に沿って走る道路になる。湖畔に沿ってカーブが続くが、針葉樹の向こうに広がる湖はまるで海のように広かった。こんなに標高の高い山の中にこれほど大きな湖があるとは驚きだ。のんびりと釣り糸を垂れている人の姿も見える。この湖は絶好のフィッシング・ポイントでもある。僕は、オートバイを停めてしばらく釣り人を眺めた。近くにはキャンピング・カーが停められている。家族連れだ。まだ小さな子供たちは、そこに何があるのか知らないが、大木の根本を掘る作業に夢中になっている。一辺をキャンピング・カーの屋根にくくりつけたテントの下には、簡易のテーブルが置かれ、たくさんの料理がそこに乗っている。いい光景だ。
所々にあるキャンプ場を通り過ぎ、まもなくしてレイク・ヴィレッジに着く。ローワー・ループから湖の北の湖畔に沿って東に向かう道路に入って、僕はイエロー・ストーン国立公園を後にした。
ロッキーの山々の中を東に向かっていると、上空が急激に真っ黒な雲に覆われた。
「やばいな。」
不安な思いでオートバイを走らせていると、前方に稲妻が走った。そのうちに、稲妻は縦に横にと盛大に飛び交い始めた。縦横無尽とはまさにこのことだ。これほどの数の雷マークのような稲妻を見たのは、この方生まれて初めてである。雨ならまだしも、こんなのに打たれたら僕の人生もそれまでだ。二台のハーレーに跨がった男たちが、たまらず道路脇のカフェに逃げ込む姿が見えた。
「こんな所で道草を食ってる訳にはいかないんだ。」
僕は、この雨雲を突き抜ける事に決めた。すると、長い一本道が現れて周囲が突然に開けた。後は運に任せる他ない。今日が僕の命日かと思った。
「すぐに抜けられるだろう。多分。」
意地になって走ったが、雨脚は激しくなるばかりだった。そして、レイン・ウェアを着るタイミングを逸してずぶ濡れになった僕に、とどめのヒョウが降ってきた。
「どうして、真夏にヒョウが。」
時速八〇キロで走る僕にとって、そのヒョウは大変に痛い落下物であった。峠は、まだまだどこまでも続いて行く。股間が妙に冷たく、何だか気持ちのいいものを感じながら、寒さに震えてひた走った。
僕は、モーテルに入って暖かいシャワーを浴びているところだけを想像しながら、ハンドルを握ってオートバイを走らせた。
やがて、コディという小さな町に着く頃、ようやく雨も小降りになろうとしていた。今日はこの町に泊まろうと思い、始めに目に付いたモーテルの、ドライブスルーのようなフロントでチェック・インをする。
「いいバイクだな。どのくらいスピードが出るんだ?」
ドライブ・スルーの窓口から身を乗り出して、フロントのおやじが聞いてきた。
「アー、アバウト・・・一五〇マイル。」
口をとがらし目をくりくりさせながら、大袈裟におやじは驚いた。どうもアメリカ人にはオートバイ好きが多いようだ。
雨はすっかり上がったので、一階の部屋の前にある駐車場で、GPZをきれいに磨いてやる。それから部屋に入って暖かいシャワーを全身に浴びた。
「腹が減った。」
面倒だし、シャワーを浴びた後と言うこともあって、ヘルメットを被らずにオートバイに跨って町に出た。町と言っても、道路の両側二、三〇〇メートルくらいの距離に店などが並んでいるだけだ。
しかし、ここは妙にウエスタンな雰囲気の町だった。びっしりと鋲を打ったブーツやカウボーイ・ハット、馬具などをショーウインドウに並べた店がやたらと目に付く。緩いカーブを曲がった町の外れ辺りまで走り、「DINNER」と大きく看板を掲げている木造のレストランを目にして駐車場にオートバイを乗り入れた。
店内に入ると、レストランとバーが一緒になったような造りだった。薄暗いフロアーを進み、適当にテーブルに着く。席に着いてから回りを見てみると、フロアーとステージがあった。僕は、どうやらフロアーに一番近い席に座ったようだった。
「失敗したかな?」
ハイネケン・ビールを一本空けた頃、注文したステーキが運ばれて来た。やはり今夜もステーキなのだ。ビールを追加して二、三切れのステーキを口にしたところで、カウボーイ・スタイルの四人の男たちが、ステージに上がってギターなんかの音合わせを始めた。
そして、そのうちに演奏が始まった。なるほどそういう店か。僕は、日本人が着ているのを見てもあまりに似合わないので、ウエスタン・ルックはあまり好きではないが、カントリー・ソングは割と好きなほうだ。上手いのかどうかは分からないが、彼らの演奏に聞き入る。
やがて、五・六組のカップルがフロアーに出て来て、手を取り合って踊り始めた。食後に二杯目のブランデーを飲みながら、演奏を聴きフロアーで踊っている老若男女の姿を眺めた。何ともいいものだ。一日に六〇〇マイル走るよりも、美しい景色を見るよりも、そこに住む人達の生活の中に入ってみることが一番に素晴らしいことだろうと感じた。
ジーンズにウエスタン・ブーツ、シャツにカウボーイ・ハットで笑顔を浮かべて踊る男たち。ジーンズや裾の広いスカートをはいて、男たちの手を取り、やはり笑顔で踊っている女たち。目の前で演奏されるカントリー・ソング。そして、陽気な笑顔で言葉を絶やさない愛想のいいウエイトレス。
小さな町でいい夜を過ごした。
走行距離 三〇二km/三五六〇km
八月一四日 二二時二五分
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