DAPHNE
八月中には帰国する予定だったのだが、とうとう九月になってしまった。しかも、未だにゴールのL・Aとは大陸の反対側にいる。
地図を見ると、フロリダ半島の付け根まで北上してから大陸を西へ向かうには、半島西側のメキシコ湾沿いを走るU・S19と27を走るのが若干の近道のようだった。しかし、急がば回れだ。旅はすでにロス・タイムに入っている。僕は、確実に時間の読めるインター・ステイトを走ることにした。
天候は今のところ申し分なかった。それでも、東海岸の天気がいかに気まぐれかは身に染みて分かっている。綿菓子のような白い雲が遙か先にまで浮かぶ気持ちのいい夏空ではあったが、例え見渡す限りの晴天であろうと、一日に何度かは土砂降りの雨に遭う。それが東海岸の天候なのだ。
I−75は、フロリダ半島の内側に向かい、西のメキシコ湾から少しづつ遠ざかりながら北上した。つまり遠回りをしているわけだが、交通量が少ないこともあってペースは快調に進んだ。だからと言って、調子に乗ってアクセルを開けてはいけない。またハイウエイ・パトロールに捕まるか、ねずみ取りに引っかかる恐れがある。
半島の付け根辺りまで北上したところで、レーク・シティでI−10に乗り換えて西へ進路を変える。しかし半島とは言っても、地図上では房総半島を回る程度の印象だが、実際のフロリダ半島は東日本ほどの大きさで大陸から突き出している。一〇〇〇kmにも及ぶ外周を回ってみると、これが半島ならなるほど日本は列島だなと頷ける。
I−10は、東海岸のジャクソンビルから西海岸のL・Aまで大陸を横断して走るハイウエイである。これに乗ってしまえばL・Aまでは一本で済むわけだが、そうすると途中テキサス州南西部の砂漠地帯を通ることになる。僕はその地域に対してあまり良い印象を持っていなかったので、迂回して避けることにしていた。
アメリカ南西部が本当にガス・スタンドも滅多にないような厳しい荒野かどうか、実際のところはよく知らない。どこを走るか何も決めずに日本を発ったので、地理というものについては全くと言って良いくらい調べていなかった。ただ、これまで目や耳にしてきた情報からそうなのかなと思っているだけである。だから、初めからメキシコとの国境付近は避けて通ることにしていた。それでも、海外ツーリングではおそらくアメリカ以上に人気の高いオーストラリアなどに比べれば、まだアメリカの方が道路は整備されているのではないかと思っている。地図を見てもオーストラリアはとにかく砂漠が多い。整備されたハイウエイもあるようだが、ダートの走行とブッシュでのキャンプ、それにアメリカ以上の野生動物との遭遇を念頭に置いたツーリングになることは違いない。そう僕は思っている。それもまた醍醐味であることには違いないのだが。
実は、今回のツーリングについて、当初はオーストラリアを走ることも考えた。しかし、オーストラリア・ツーリングはオートバイの整備などにも精通していないと無理だろうと勝手に決めてしまったのである。実際にはオーストラリアを一人で回る女性も多いようであるし、皆が皆オフロード・タイプで走っているわけでもない。実際に整備知識がどこまで必要なのかも分からない。朝、テントから這い出てエアーズ・ロックを眺めながらコッヘルで沸かしたコーヒーをすするのも確かに魅力的だ。ただ自分の性分を考えると、オーストラリアに行けば砂煙を上げてアウト・バックを爆走しなければ気が済まなくなることは明らかである。しかし、そういう旅に今は自信がなかった。
だが、それが理由で今回アメリカを選んだ訳ではない。この旅を終えた瞬間にも、そしてこれから先も、おそらくアメリカに来たことを後悔することはないだろう。この先まだ四〇〇〇kmもの道程を残してここでそう結論付けるのは少々気が早いかも知れない。しかし、今後またチャンスが訪れたとしても、僕はやはりアメリカに来るだろう。行ってみたい場所はまだたくさん残っているし、オートバイで走ることに変わりはなくても、今回とは趣を変えた旅もしてみたいと思う。
I−10に乗ったのがちょうど昼頃だったが、案の定、雨を降らせる雲に遭った。数百mから一kmほどの範囲で弱い雨を降らせる雲が切れ切れに続く。レイン・ウェアを着たものかどうか、決断がつかないまま僕はオートバイを走らせた。しばらくはカウルに身を隠して雨を避けながら走っていたが、広範囲でひどく降りそうな気配になってきた。そこに、ちょうどハイウエイ上に架かっている陸橋があったので、雨宿りのためにその下にオートバイを入れて止めた。
陸橋の下に腰を掛けていると、激しく路面を叩く音と同時に雨が降り始めた。雨は猛烈な勢いだった。森の景色が、白いヴェールが掛かったようにぼやけてくる。それでもなお雨は勢いを増し、路面を叩く音はまるで地鳴りのように轟々と響いた。僕は、陸橋の下の狭い空間に隔絶されたような思いで、ぼんやりとして雨が過ぎるのを待った。
反対車線に、一台の車がやはり雨を逃れて高架下に避難して来た。停車した車から男性が一人降りてきて、僕に気付いてからお手上げだと言うように両手を挙げた。彼はしばらく外の霞んだ景色を眺めていたが、すぐに車の中に戻った。周囲を森に囲まれているので、雨に打たれたアスファルトの匂いと共に草木の匂いが漂う。三〇分ほど経った頃だろうか、あっけないほど突然に雨が止んだ。向かいの車が陸橋の下を出て走り去るのを見送ってから、僕は腰を上げてオートバイに跨り再び走り出した。路面に溜まった雨を跳ね上げて走りながら、アメリカでの雨のやり過ごし方も覚えたななどと考えていた。しかし、一kmも走るとそこはまたしても雨だった。やれやれである。
フロリダ州の西の外れにあるペンサコーラまで走ってから、給油のためにハイウエイを降りた。ガス・スタンドはすぐに見つかった。スタンドのポンプにオートバイを着けて腕時計を見ると、もう夕方の五時を過ぎている。これが今日最後の給油になるだろう。
給油を終えてから、次のハイウエイの入り口に向かうために車の通りのほとんどない一本道を走っていると、KawasakiとSUZUKIの名前の書かれた看板が目に入った。オートバイのショップだ。猫も杓子もハーレーのこの国で、日本のオートバイ・メーカーのロゴが懐かしかった。ショップの前にGPZを止めて中に入ると、棚にはカワサキ純正のエンジン・オイルやオイル・フィルターなどが並んでいた。これはアメリカで目にする初めての光景である。カワサキの看板を出しているだけのことはあった。僕は、オイルとオイル・フィルターを手に取り、フラッシングもしておこうとフラッシング・オイルを探したが、それらしいオイルが見当たらなかった。
「フラッシング・オイルは無いのですか?」
近くにいた店員に僕は尋ねた。
「フラッ、フラッシ?」
店員は何のことだと首を傾げている。僕の発音が悪かったのだろうか。いいはずはないが。
「フラッシング・オイル。」
巻き舌でいかにもそれらしい発音で僕は繰り返した。近くに日本人がいたなら恥ずかしくてとても言えなかっただろう。
「?」
それでも店員は首を傾げた。フラッシング・オイルとはエンジン内部の洗浄用オイルのことだが、ひょっとして英語にそんな言葉はないのかも知れない。日本だとどこのショップに行ってもフラッシングとはっきり書かれたオイルがあるが、あれは和製英語なのかも知れない。僕は質問を変えた。
「チープ・オイル。」
「何だって?」
チープは安いの意味じゃないのか。値段の安いオイルをフラッシング用に使おうと思って尋ねたのだが、これもまた通じなかった。
「ロー・プライス・オイル。」
もうやけくそだったがそれでも通じない。正しい発音が出来ないから馬鹿にしてるのかとも思えてきた。
「ありがとう。もういいです。」
そう断って自分で探すことにした。
結局、値段の一番安いオイルを探してフラッシング用に買った。キャッシャーでプラスチック製の廃油受け皿を借りて、ショップ脇の空き地で僕はオイル交換を始めた。ジャケットを脱いで、まずはアンダー・カウルの取り外しにかかる。腰を屈めて一本一本ネジを緩めていると、額に汗が滲んできた。汗はすぐに頬から顎を伝わって地面に落ちた。カウルが外れると、さらに身を屈めてエンジンの底にあるドレン・プラグを緩めにかかる。地面が土で、雨が降った後でぬかるんでいるので寝そべって作業することが出来ない。中途半端な姿勢での作業に、汗が止まることがなかった。
プラグが外れると、真っ黒なオイルがさらさらと受け皿に落ちた。オイルが抜け切ったのを確認してドレン・プラグを締め直し、フラッシング用に買ったオイルを注入口から注ぐ。しばらくそれでアイドリングをしたら、もう一度オイルを抜く。それからオイル・フィルターを外す作業に取り掛かる頃、僕は全身汗だくになっていた。雨が降ったおかげか夕方になって気温は幾分下がったが、それでもまだ暑い。地面に溜まった雨が蒸発して辺りに漂うので、とにかく湿度が高かった。Tシャツが背中に張り付き、通気性の悪いジーンズも気持ちが悪く動きづらい。そう言えば最後にジーンズを洗ったのはいつだったか。
これも真っ黒になったフィルターを外して新しいものと取り替える。まずアンダー・カウルを取り付けてから、純正のオイルを注ぐ。すべての作業を終えて立ち上がると、立ちくらみがした。エンジンをかけてオイルをエンジン全体に回してやる。それからエンジンを止めてしばらく様子を見て、オイルが適量になっていることを確認した頃、ショップの従業員がぞろぞろと店から出てきた。どうやら閉店の時間らしい。
「このオイルはどうすれば?」
僕が廃油の処分を尋ねると、従業員の一人がショップの隣にある倉庫を指した。そばにドラム缶が一本置かれている。受け皿を持って行って廃油をその中に捨てた。
「ありがとう。」
僕は彼らに礼を言い、ジャケットを着てからオートバイに跨った。ショップの照明も同時に落とされた。
I−10のランプがある方向にゆっくりとオートバイを加速させる。走り出すと汗でびっしょりの身体に夕方の冷えた空気が心地良かった。汗で濡れたTシャツはすぐには乾かないが、風を受けると冷くなって気持ちが良い。
ハイウエイに乗って時計を見ると七時を過ぎていた。まだ視界が利く程度の明るさはあったが、僕は二〇分ほど走って「Lodging」の標識のある次のランプでハイウエイを降りた。降りて間もなくの所にステーキ・ハウスと中華レストランがあり、すぐ近くにはモーテルの看板が立っていた。必要なものは近くで揃う。これが小さな町の便利なところである。僕は今日の宿をここに決め、フロントの前にオートバイを止めて中に入った。
「Hi.」
カウンターの中で僕を迎えてくれたのは、印象の爽やかなきれいな娘だった。年は幾つくらいだろうか。日本の女性の年齢予想も最近かなり怪しくなっている。平均して大人びて見える欧米の女性の場合だとなおさら怪しいものだが、彼女は二二・三歳くらいに見えた。
彼女は用紙を一枚取り出してカウンターに置いた。きれいな指をしていた。僕は、用紙にパスポート番号などを記入して彼女に返した。そして、うつむいて内容を確認している彼女を、僕はじっと見ていた。美しい女性を見つめるのは決して無礼なことではない。むしろ礼儀だと僕は考えている。そうして大義名分を立てれば、様々な場面で何かと役に立つ事もある。ただ、その眼差しに微塵もいやらしさを表してはいけないのは無論のことだ。
彼女は、細いブロンドをやや短めに肩の辺りで揃えていた。その髪は、わずかな動作にも反応してなめらかに揺れる。細く通った鼻筋と形の良い薄い唇。華奢な顎の線。肌はきめが細かく透き通るように白い。人それぞれ好みもあるだろうが、女性が一番に美しいと僕が思うところは、柔らかな曲線で描かれたその肌の美しさだ。色白は七難を隠すと先人たちも言っている。真っすぐに引かれた眉に、二重の大きな目は澄んでいて魅力的だった。それがくせなのか、相手を見るときに彼女は瞳の奥から見つめるようにする。
彼女と共に時間を過ごす何かいい方法はないものか。日頃は女性に対して決して積極的ではない僕だが、そんなことを考えていた。もう七時を過ぎている。ここでの勤務もそう長くはないかも知れない。食事にでも誘ってみたいものだが、悲しいかな会話が出来ない。
「日本から来たんだ。」
そんなことはたった今用紙に書いたばかりだ。
「どこかいいレストラン知らないかな。」
それなら正面に二軒もあるではないか。
「僕の部屋に来ない?」
それはあまりにも。
僕は、自分の英語力で可能な範囲の、会話のきっかけをあれこれと考えた。しかし、ろくなものが浮かばずに、思い付く先から否定していった。情けないが、もともとこの手のシチュエーションには弱いのである。そうこうしている間に、何も言葉に出来ないまま支払いを済ませて鍵も受け取り、後は部屋に向かうだけの状況になっていた。
「ありがとう。」
結局、僕に言えたのはこれだけだった。思えばこれまでの人生の中で、この手の後悔は数知れない。
僕は部屋に入るなりベッドに横になってテレビを付けた。己の不甲斐なさを身に染みて感じながら画面を眺めていると、枕元の電話が鳴った。
「はい。」
「フロントです・・・一〇〇ドル・・・お釣り・・。」
電話の相手は先ほどの彼女だったが、何を言っているのかよく分からなかった。
「今そっちへ行きます。」
そう言って僕は受話器を置いた。
フロントに行ってみると、どうやら彼女がお釣りを間違えたらしかった。こっちは他のことに気を取られて確認する余裕すらなかったのだが、一〇ドル紙幣がカウンターに置かれた。この機会を逃して他にない。受話器を置いた瞬間から僕はそう思っていた。しかし、いざその場に来ると、笑顔で紙幣を受け取ってさっさとカウンターを後にしてしまった。神様が授けて下さった、計画的とも言えるまたとないチャンス。僕はそれすら逃してしまった。当たって砕けろ。ダメでもともと。失うものは何もない。そう自分に言い聞かせながらも、その後カウンターへは引き返さなかった。
オートバイを磨いてからシャワーを浴びた後、地図と日記帳にしているレポート紙を持って表に出た。シャワーを浴びている間に辺りはすっかり暗くなっていた。すぐそばにあるレストランに歩いて行ってみると、店の壁には大きく「ステーキ・ハウス」「ファミリー」と書かれていた。ファミリーに何か意味があるのかどうかは分からないが、僕は嫌なものを感じていた。店のドアを開け入り口付近にいた店員に確認してみると、案の定アルコールを置いていない店であった。僕は店員に断って店を出た。
その足で、駐車場を隔てた場所にあるチャイニーズ・レストランに向かった。毎日のように食べているとは言え、ステーキに未練はあった。しかし、ステーキかビールか、今なら迷わずビールを選ぶ。たっぷり汗をかいた後であるし、夕食のステーキにアルコールが伴わない事ほどつまらないものもない。
チャイニーズ・レストランは中国人が経営しているようだった。中国人か韓国人か、はたまた香港人なのか。僕にはさっぱり見分けが付かないが、チャイニーズ・レストランだからおそらく中国人だ。ドアを開けた僕を小柄な若い中国人女性が出迎えてくれ、この店のオーナーらしい恰幅のよい中国人男性が奥に立ってニコニコしていた。フロアーは広かったが客の姿はなかった。
「ビールはありますか?」
入り口でそう尋ねると、小柄な女性は愛想良く頷いた。
テーブルに着くと、注文を取りに来たのは奥にいた男性だった。彼はテーブルの脇に立っても終始ニコニコしている。僕はメインにチキンと書かれてあるディナーBとハイネケン・ビールを注文した。
地図を広げて今日走ったルートをマジックで記していると、まずビールが運ばれてきた。グラスに注いで一気に飲み干してから日記を付け始める。すると、間もなくしてとんでもなく大盛りのライスがテーブルにでんと置かれた。その量に、大食いを自負するさしもの僕もたじろいだ。僕は、随分前に聞かされた話を思い出した。話の内容は、客に次から次へと料理を出すのが中国でのもてなし方だというようなものだった。客は出された料理を全ては食べずに、「おいしい料理でした。とても全部は食べ切れませんでした。」とか何とか言うのがこれもマナーらしい。聞いた話なので本当かどうかは知らない。ただ、こんもりと盛り上がったこのライスにもそんな意味が込められているのかも知れないと僕は考えていた。
その後、中国のマナーも何もなく、本当に食べ切ることが出来ずに食事を終えた。
「ウオッカはありますか?」
皿を下げに来た男性に僕は尋ねた。彼は、やはりニコニコしながら二度大きく頷いた。
果たして、運ばれてきたウオッカもまた大盛りだった。この場合大盛りと言う表現はおかしいが、ウオッカのような酒は普通それほどたくさんの量は入っていないものである。しかし、六オンスほどのグラスにたっぷりと注がれていたのである。
「中国人ですか?」
ふいに、決して笑顔を絶やさない彼が英語でそう尋ねてきた。
「いいえ、日本人です。」
その時だった。初めて、しかもあからさまに彼の表情から笑顔が消えた。そして、そのまま奥へ引っ込んだきり二度と出て来なかった。どうやら、相次いだ大盛りにはまた違った意味があったようだ。
走行距離 八八三km/一二三七二km
九月一日 二一:四五
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