FRESNO
Chapter.20
今日は、T・C社に行った日の翌々日になる。昨日は、モーテルの主人に教えてもらった、サンタ・モニカ・プレイスとはまた別のショッピング・センターに行ったりして一日を過ごした。この辺りの地図やモーテル、店の情報などが書かれたビジターズ・マップをもらい、それを片手に近くの散策に出たのである。
ショッピング・センターでは、こちらのコンセントに対応した旅行用の小型ドライヤーと、一本のゴムに金属製のクリップが幾つも付いた簡単な物干しを買った。どちらも値段が安くかさ張ることもないので、この手のものは現地で揃えた方が良さそうである。
いよいよ出発の日となった今日。料金を精算してフロントを出ると、二組の若い日本人男女が階段の下で何やらもじもじしていた。それぞれに大きなバックを担いでおり、一見して旅行者と分かる出で立ちをしている。空港からここへ直行して来たのかも知れない。彼らには、フロントに入るのをためらっているような様子がありありと見て取れた。もしかすると英語が苦手なのかも知れない。こんな時は、却って一人の方がいいものだ。連れがいると、下手な英語を披露するのも気が引けるし、どうしても相手に頼りがちになってしまう。
フロントから出てきた僕に、彼らの八つの目玉が一斉に集中した。何かを言いたいが何を言えばよいのか咄嗟には言葉にならず、その気持ちだけが先に表れた目である。しかし、僕にしてもろくに英語は話せないのである。何もしてあげられることはない。いずれにしろ、彼らは自分たちで行動しなければ何も始まらない。そのうちに彼らもその事を覚え、また慣れるだろう。
「思い切って行っちゃえば。」
彼らが楽しい休日を過ごせることを祈り、僕は荷物を担いで彼らとは反対の方向にある階段に向かった。
数分歩いて、僕は近くにあるホテルの前までやって来た。いくらカラカラの陽気とは言え、全ての荷物が入ったバッグを担いで歩くとさすがに額には汗が滲んでいる。今日は一台だけだったが、このホテルの前には常に何台かのイエロー・キャブが客待ちのために停車している。停車中のイエローキャブの窓をノックすると、見覚えのある顔がこちらを向いた。それは一昨日の運転手だった。
「Hi!」
彼は少し驚いたように丸い目を大きく開き、開けた窓から右手を差し出した。僕も驚いたが、握手をしながら彼の黒人らしい人なつこそうな笑顔につられて笑った。先日の事を思い出して少々苦笑いであったが。
「この前と同じところか?」
握っていた手を離し、親指で後方を指しながら彼はそう言った。正確には、多分そのような事を言った。
「ええ。」
僕が後部座席に収まるとすぐに車は走り出した。彼は僕が英語を話せないことを知っているのでほとんど話しかけて来ない。僕の方は再び彼の車に乗ることが出来てホッとしていた。彼なら余計な回り道をすることもないだろうし、説明をしなくても僕の行く先はよく知っている。
Chapter.21
T・C社に着くと、倉庫のシャッターが上まで開けられたままになっていた。一昨日は中南米らしい顔立ちの作業員が数人いたが、今日は人影はなく大きな倉庫はガランとしている。入り口近くに、端に寄せて置かれている愛車の姿があった。
「あなたに会えて良かったです。」
文法が間違っていなければ運転手にそう礼を言い、もう一度握手を交わして彼とは別れた。
レンタルしたトラックにこのオートバイを積み込んで、横浜港近くの倉庫まで運んでから二カ月近くが経つ。その時は、この重いオートバイをいかにしてトラックの荷台に乗せるかに苦労したものである。あれからオートバイは僕より先に日本を出て、一ヶ月の船旅を終えてここに着いたわけだ。
オートバイは、KawasakiのGPZ900Rというモデルである。ヨーロッパ仕様の赤と黒のカラーリングで、去年の一二月に中古で購入した。その時はまだ一年落ちで新車のようにきれいだったのだが、納車されたその日に僕は転倒させている。実はこのオートバイを買う三年ほど前に、僕は同じGPZの七五〇ccモデルを友人から譲り受けて乗っていたことがあった。排気量こそ違うが、どちらも形やボディの大きさはほとんど変わらない。この900Rが納車された日、僕は七五〇ccと同じ感覚で車体を深く寝かし込んで大きくアクセルを開けた。それが間違いであった。九〇〇ccエンジンの出力をタイヤのグリップ力が支えきれず、後輪が抜けたようにアスファルトの上を滑った。そして、僕を残して車体だけが路上で回転しながら縁石に向かい、マフラーから突っ込んで停止した。暗闇の中であさっての方向を照らしているライトの明かりを見ながら、僕はしばらく路上に転がったまま呆然としていた。このオートバイに跨って、わずかに二〇mばかりの距離を走った時のことである。その時ヒビの入ったカウルは交換したが高価なマフラーまでは交換出来ず、今でもその傷は残っている。
僕はT・C社の事務所に入り、スタッフからGPZのエンジン・キーを受け取った。オートバイをコンテナ船に乗せる際にタンクのガソリンは空にしておかなければならないので、GPZのタンクにもガソリンは入っていない。スタッフもその事は承知しているので、一昨日D・M・Vまでつき合ってくれた女性が、ガソリンを買うために最寄りのガス・スタンドまで車で連れて行ってくれる事になった。
最近は日本のガソリン・スタンドでも見かけるようになったが、アメリカでの給油は基本的に自分で行う事になっている。方法には、先に料金を支払って給油をする「ペイ・ファースト」と、給油を済ませてから後で支払いをする「ポンプ・ファースト」とがある。おおむね大都市や東部の多くの街ではペイ・ファーストになっており、この場合まずポンプの前に車を着けてから清算所に行き、そこで車を止めたポンプの番号を告げ、先に料金を支払ってから自分で給油をする。田舎に行くとこれが逆になり、先に給油を済ませてから清算所に行き、そこで給油をしたポンプの番号を告げて入れた分の料金を支払う。給油と精算のどちらを先に行えばよいかは、ポンプなど分かりやすい場所に書かれている。もし分からなければ、清算所に行って「Pump first?」とか「Pay first?」と聞けばよい。また、スタンドには日本のコンビニエンス・ストアーのような店を併設している所が多く、買い物をする場合は品代とガソリン代を併せて支払う事が出来る。選ぶルートにもよるが、アメリカを東の端から西の端まで走れば、ポンプ・ファーストのスタンドに入る割合の方が多いだろう。
給油は簡単で、まずノズルを持ち上げて、ポンプに付いたレバーをオンにしてからノズルを給油口に差し込む。後はノズルにあるレバーを握ればガソリンが出てくる。ポンプには料金と量の二つのメーターが付いているが、満タンなら放っておけば給油は自動で止まるようになっている。
このセルフ・サービス以外にフル・サービスのスタンドもある。この場合は、日本のスタンドと同じく店員が給油を行ってくれる。全てのポンプがフル・サービスになった所と、ポンプによってセルフとフルに分かれている所とがあるが、セルフのみのスタンドの方が圧倒的に多い。完全にフル・サービスとなったスタンドには僕も二度しか入ったことがない。ただ、フル・サービスは人件費の分だけ料金が高いので、もし両方を行うスタンドに入った時は、セルフのポンプを選ぶことをお勧めする。
日本に比べると、アメリカでのガソリンの価格は非常に安い。量を表す単位はガロンだが、一ガロンはおよそ三・八リットルになる。普通のアンレッデッドで一ガロンが一・一〇ドルくらい、スーパ・アンレッデッドと呼ばれるオクタン価の高いガソリンでも一・三〇ドルくらいなので、長距離を走る時にはこの値段は大変に有り難い。
余談だが、店に出入りする際などに他の人が後に続いている場合、必ずその人のためにドアを開けて待ってあげるのがアメリカでのマナーである。もう一つ、キャッシャーに行ったら必ず店員にあいさつをしよう。一言「ハイ」でいい。黙っていても向こうからあいさつしてくるが、些細な事で気分も違ってくるし、それがこの国の基本でもあるようなのだ。
「自分で入れてらっしゃい。」
大きなガス・スタンドに到着すると、送って来てくれた女性はそう言った。僕が実際に自分で給油をするのが初めてであることを知っているからだろう。僕はT・C社で借りてきたポリ・タンクを抱えて車を降りた。
ここのスタンドはペイ・ファーストだったが、たくさん並んだポンプの傍らに佇んでいる小さなブースがキャッシャーのようだった。ブースには分厚いプラスチックのような透明の小窓がはめ込まれてあり、そこに小さな穴が幾つも開いている。その向こう側の、人一人が腰掛けるといっぱいになりそうな狭いスペースに、女性が一人座っていた。彼女との料金の受け渡しは、小窓の下に開いた隙間から行うようになっている。駅やチケット売場などの窓口と似たような仕組みなのだが、何とも圧迫感に満ちた、見るからにストレスの溜まりそうな職場である。僕は彼女に一ドル紙幣を二枚渡してポリ・タンクにガソリンを入れた。初めての経験なので多少緊張したが、これもすぐに慣れるだろう。
T・C社に戻り、僕は買ってきたガソリンを早速タンクに入れた。そしてチョークを引いてセル・スターターを回したが、どうもエンジンの様子がおかしい。回転が二五〇〇以上に上がらない。久しぶりの始動なのでしばらくアイドリングをさせてから少し走らせてみたが、やはり二五〇〇回転になるとキャブがかぶったような状態になってしまう。ガソリンはとっくに回っているはずなのだが。
様子を見ていた藤井さんが近くにやってきた。彼はT・C社の営業社員で、年齢は僕より二つ下になる。アメリカに来て四年ほどになるが、日本にいる時は彼もオートバイに乗っていたようである。彼の話によると、どちらかというとあまり正統なバイク乗りではなかったらしい。渡米に至った理由は特に尋ねなかったが、過去はどうあれ現在はこうしてアメリカで一人前の営業社員として働いているのである。それだけで僕には彼が立派に思える。僕は今日明日とサクラメントに向かって走るが、彼も明日営業でサクラメントに行くようだった。もっとも彼の場合は飛行機である。
ああでもないこうでもないと言いながら僕たちはエンジンやプラグなどをいじってみたが、どこにも異常は見つからない。
「どうせ沈没するんなら、俺のところで沈没すりゃどうだ。」
見ると、声の主は笹川氏だった。
「ツーリングに出たまま行方不明と言うことにして不法滞在すりゃいいんだ。」
続けて彼はそう言った。
途中で挫折するのが落ちなのだから、それならここで働けと言っているのである。もちろん冗談半分だが、彼が言うのももっともな話かも知れない。日本国内での長距離ツーリングの経験すらないのにアメリカ一周など、しかも初めての海外でおまけに英語もろくに話せないと来ては無謀と言われても仕様がない。実際、自分でもそう考えるところがなくはないのだから世話がない。無事戻って来られるという保証などないし、まあ、やれるところまでだと思っている。
いじり始めて二〇分ほど経っただろうか、エンジンの不調はタンク下にある燃料パイプが一本抜けていたのが原因であることが分かった。おそらく日本でガソリンを抜く際に外れたのだろう。パイプをつないでやると、まだ少し眠そうにエンジンは吹け上がった。
「昼食に行くが一緒にどうだ。」
事務所に戻っていた笹川氏が出て来た。
「考え事をしたいので僕は残ります。」
藤井さんは笹川氏といっしょに出掛けたが、僕は丁寧に断って一人で倉庫に残った。考えると言っても、今さら考える事も何もない。結局プレートは取得出来なかったが、やるべき事はやったし心の準備も整っている。予定外に空いて持て余した今日までの数日間も、却って余計な緊張をほぐしてくれたように思う。
あらかじめ日本で輸送を依頼した時に、僕はビニール製のクリア・ケースをオートバイのタンクに張り付けたままにしてあった。タンク・バックも持っているがそれ自体が荷物になるので、地図を入れるためにこの方法を選んだ。ケースはマジック・テープで留めてある。僕は、日本で用意していた折り畳み式の全面一枚になった全米ロード・マップを、これから向かう方角の一〇〇〇km先辺りまでが見えるように折り畳んでそのケースに入れた。
シートに跨り、僕はGPZの細部にまで目をやった。これからはこのGPZと自分自身だけが頼りになる。しかし、それは孤独や不安よりも、何からも捕らわれない本当の自由を感じさせてくれるようにも思える。無事に日本に帰りたいとか事故に遭わないかなどと言ったことは頭にはなく、今は不思議なくらい平静である。学生時代に陸上をしていたが、短距離走のスタートのためのブロックに、ベストな位置にスパイクを合わせている時の感覚に似ている。周りの音は耳に入らず鼓動が大きく感じられるが、雑念がなく、自分の内側に向かって全身の神経が静かに集中する。スタートを切れば、後は全力を尽くすだけである。僕はエンジン・キーを回し、車体を起こしてからスタンドを外した。クラッチ・レバーを握りセル・スターターを回す。カワサキ車特有のエンジン音が倉庫内に響いた。タンクの上に置いてあったフル・フェイスのヘルメットをかぶってあごひもを締める。ハンドルに手をやり、もう一度クラッチ・レバーを握って、大きく深呼吸をしてからギアを一つを踏み込んだ。
T・C社を出た瞬間から僕には一切のしがらみはなくなった。自由な世界へ走り出す。僕を取り巻く周囲の全てのものは、イエロー・キャブに乗っていた時とは違って感じられる。路面の色やくすんだペイント、町並みや空気の匂いなどが剥き出しのまま伝わってくる。これからの道程は長いが、今が最高の瞬間かも知れない。この気持ちと今目にしている風景を、きっと僕はいつまでも忘れることはないだろう。
タンク・トップにジーンズ姿なので、信号で停車すると露出した肩に照りつける強い陽射しが痛い。走り始めて間もなくI−110の入り口に近づいた。標識に従ってランプ・ウエイに乗り本線に向けて合流する。
アメリカのハイウエイには、幹線高速道路であるインターステイトと、国道や州道が高速道路になったものとがある。インターステイトは日本で言えば東名や名神高速道路などにあたるが、頭文字をとって五号だとI−5などと標示されている。奇数番号は南北に走るハイウエイで、西海岸沿いの五号から順に東海岸沿いの九五号まで続いている。四五号と八五号を除いては、下一桁に五のつくものは特に大きくアメリカを縦断している。偶数番号だと東西に走るハイウエイで、南の一〇号から北の九四号まで続く。六〇号と七〇号は無いが、これも下一桁が〇のものはアメリカを大きく横断している。また六〇五号など三桁になったインターステイトはいわゆるバイパスで、下二桁が本線であるインターステイトの番号になっている。
国道がハイウエイになっているものはU・S、州道だとSTATEと標示されていて、これも三桁までの番号が付けられている。ただ、これらはハイウエイとは言っても、途中から一般道になって信号機が付いていたりする事がある。
これら三種類のハイウエイにはそれぞれにシンボル・マークがあり、そのマークと共に案内標識などにも分かりやすく標示されている。ただし、日本の高速道路のように入り口に東京方面・名古屋方面などとは書かれていないので注意が必要である。南か北か、東か西かだけである。更にここで注意が必要なのは、例えばI−75はフロリダ半島南部を一〇〇マイル近く東西に走るハイウエイだが、全体ではカナダとの国境近くまでおよそ一七〇〇マイルに渡ってアメリカを南北に貫いている。この場合も、フロリダでの入り口にはI−75North、I−75Southと書かれている。奇数は南北、偶数は東西の基本を覚えておけば間違えることはないだろう。
この他にターン・パイクと呼ばれる有料のハイウエイもあるが、これらは東部のごく一部だけにしかない。
ハイウエイは、道幅が広く空いていて流れも速かった。渋滞の中で車の間をすり抜けながら走るには大きく重いGPZも、このようなハイウエイを走って初めて安定感を得ることが出来る。また、エンジン出力も存分に発揮させられるので、思い切ったアクセル・ワークが可能になる。まさに快適の一言に尽きる。ダウン・タウンが近づいて来ると、合分流の車線が忙しく交差するようになってきた。高架になって複雑に入り組むインター・チェンジの曲線は、近代都市の最も美しい造形物の一つでもある。U・S101とのインターであるアーチに差し掛かり、本線を外れて側道からU・S101に乗り換えて西に向きを変えた。
STATE170、I−5と乗り継いでL・Aの中心部から遠ざかって行くと、一時間と走らないうちに周囲の景色は一変する。高架のハイウエイが今は大地に敷かれたハイウエイとなり、対向車線とは大きく間隔を取っているだけで柵などで仕切られた中央分離帯はない。この辺りが日本の高速道路と大きく異なる点だろう。土地が広い故に可能なことで、そこを走っていれば確かにその広大さを実感出来る。周囲には建物もなく、荒野の中を遙か地平線まで黒いアスファルトが伸びる。これがアメリカなんだと思える。乾いていてどこかあくが強く、どこをどう切り取ってもそれはアメリカの風景になっている。
ずっと、小さな黒い物が路上に散っていた。どうやらそれはバーストしたタイヤの残骸のようなのだが、それにしても延々と無数に散っている様は異様でもある。しばらくして、猛烈な炎に包まれている乗用車を反対車線に見た。更にしばらく走ると今度は、一〇メートルほどの高さの土手を駆け登ってその上の一般道を覆い、向こう側の土手に頭を落としている巨大なトレーラーがいた。陽炎が揺らぐギラギラとした熱気の中で、狂ったような光景が次々と目の前で繰り広げられる。いくらエンターテイメントの国であるとは言え映画じゃあるまいし、これがこの国の日常の光景なのだろうか。今僕が受けているものこそが、カルチャー・ショックと言うものなのだろう。
先が長いので、僕はGPZにあまり負担をかけないように時速一二〇kmを固定して走った。それでも周りの流れはそれ以上に速く、ほとんどの車に追い越されてしまう。日本で見る大型トラックの倍はあろうかと言うほどのばかでかいトレーラーでさえ、時速一四〇kmを超えるスピードで走っている。自分の性格からして、我慢出来ずにペースを上げるのは時間の問題と思えた。
巨大なトレーラーに追い越される時は、用心していないとオートバイなど風圧で飛ばされそうになる。隣で蝶々のようにひらひらしながら追い越された後、僕は試しにそのトレーラーの直後に入ってみた。すると、やはりそこにはスリップ・ストリームと呼ばれる大きな無風空間が出来ていた。ここにいれば、風の抵抗を受けることなく気楽に走ることが出来る。ただ周囲の景色をゆっくりと眺めることが出来なくなるので、僕はトレーラーを見付けてはたまに出たり入ったりして遊んだ。
丘陵地帯を越え、ハイウエイはSTATE99との分岐点に差しかかる。このままI−5を北上すればサクラメントに着くが、明日ヨセミテ国立公園に行く予定なので、ここでSTATE99に乗り換える。ガイド・ブックによると、この先にあるマーセドという町辺りで宿を取った方がヨセミテに行くには便利なようであった。STATE99に入ってからもハイウエイは相変わらず単調だったが、少しずつ変化していく広大な原野の風景は飽きることがなかった。
ガソリンが少なくなってきたので、僕は給油のためにハイウエイを降りることにした。出口が近くなると、日本の高速道路と同じように町の名前が書かれた標識が出てくる。出口は「EXIT」で表示されており、町の名前や出口までの距離の他に、ガス・スタンドやレストラン、ファースト・フード、モーテルなどの情報も併せて表示されている。食事や給油などは、日本なら高速道路から降りずにサービス・エリアで済ませるが、アメリカではいったんハイウエイを降りて町に入る。ハイウエイは無料なので乗り降りをすることに問題はない。
僕が降りたのは、ガス・スタンドやレストラン、モーテルに民家などが数軒ある程度の、ほとんど集落に近いような小さな町だった。立ち寄ったガス・スタンドも、古いポンプが二つ置かれただけの寂れようである。僕はポンプにオートバイを着けて、シートに跨がったまま取り出したノズルを給油口に差し込みレバーを握った。ガソリンの匂いが立ち上ってくる。実は僕はこの匂いが好きだった。
ポンプの横には、ペーパー・タオルや液体洗剤、車のウインドーを拭くための柄の付いたブラシなどが置いてある。給油の後、僕はそれらを使ってGPZやヘルメットに付いている虫を落とした。ハイウエイを走っていると、かなり多くの小さな虫が飛んで来る。それが至る所に付いていた。
店のドアを開けると、ドアに付けられた小さな鐘がからからと鳴った。狭い店内に客の姿はなく、見るからに年代物と思えるレジスターが置かれた古い机の向こうで、女性が一人腰を掛けて本を読んでいた。
「ハイ。」
鐘の音に顔を上げて、彼女は笑みを浮かべてそう言った。作られたものではなく飾ってもいないその表情に、僕も笑顔になって挨拶を返した。喉が渇いていたので、僕はケースからコーラを選んでキャッシャーへ行き、給油した分と併せて代金を支払った。
「バイバイ。」
出口に向かった時、背中で彼女の声を聞いた。
オートバイをスタンドの隅に移動しておいて、しばらくここで休憩をとることにした。乾いた喉をコーラで潤してから煙草に火を付ける。のどかな風景をぼんやりと眺めながら、僕は漠然と物思いにふけった。アメリカ人は気さくで人と接するのが上手く、またそれが大変に自然体である。この国に来てから、他人との間に抱く距離感のようなものが僕の中から消えつつあるのを感じている。普段の生活の中でいつの間にか胸の隅に出来ていたささくれた気分が、今は柔らかく解けて清々しいものが満ちている。こうして、この国の田舎町でのんびりと煙草を吹かすのもいいものだと思えた。
ハイウエイに戻ってオートバイを走らせていると、追い付いて来る二台のハイウエイ・パトロールの車がミラーに映った。どこの国に行っても、パトカーだけは何故か遠くからでもすぐにそれと分かるように出来ている。全身を緊張が走った。普段からパトカーを見て緊張するような生活を送っているわけではないが、今はオートバイにプレートが付いていないのである。走り始めたその日に捕まったのでは情けない事この上ない。かと言って逃げるわけにも行かないし、見渡す限りに何もないこの場所では逃げる場所などなければ逃げ切れるはずもない。アメリカでは左側が追い越し車線になっているので、僕は他の車に追い越されるままに右側の車線をキープして走った。少しずつアクセルを緩めて、速度を時速一〇〇kmまで落とす。しばらくして、パトカーはいよいよすぐ背後にまで迫ってきた。そして、そのまま僕を追い越して行った。もちろん安堵したが、反面拍子抜けしたのも事実である。
この時は、プレートがない事に偶然気付かなかったのだろうかと思った。しかし、今日一日で結局三度パトカーに出会い、その度に全身が硬直するような思いを味わってきたわけだが、一度も停車させられることはなかった。僕以外には走っているオートバイを一度も見なかったので、この派手なGPZが目立たないはずはない。不思議ではあったが、やはりアメリカ人は寛容なのだろうと僕は思うことにした。しかし、この事が僕を図々しくさせ、結果的には後に大変な思いをする羽目になる。
予定ではマーセドまで走るつもりだったが、出発が遅かったせいもあって五〇マイルほど手前にあるフレズノに泊まることにする。人口が三八万人余りで中規模の都市と言えるこのフレズノには、多くの日系人が住んでいるらしい。辺りは少し暗くなりかけていたが、しばらく町を走ると安いモーテルを見つける事が出来た。オートバイを止めてフロントに入ると、奥から白いTシャツを着た太ったおやじが出てきて、ごそごそと用紙を取り出してカウンターの上に置いた。どこのモーテルでも書かされる、いわゆる宿帳のようなものである。
「モーター・サイクルか。」
僕が抱えているヘルメットを見て彼が言った。
イエスと答えると、モーター・サイクルのプレート・ナンバーも記入するようにと言った。プレートはないのだと僕が言うと、彼は複雑な顔をしている。
部屋に入ってから僕はまずテレビをつけた。見ても内容は分からないのだが、他にすることもない。番組はちょうど天気予報だったが、アメリカでの気温を表す単位は華氏なので分かりづらい。七〇だの九〇だのと言った、見るからに暑そうな数字が衛星写真の上に散っている。ガイドブックを取り出して参照してみると、華氏から三二を引いて一・八で割れば摂氏になると書かれている。長時間の走行で疲れた今の頭では、面倒で計算する気にもなれない。今いる地域に雲がないことだけを確認して、僕はチャンネルを回した。文字通りダイヤル式のチャンネルをグルグル回していると、一瞬奇妙な映像が映った。もう一度ダイヤルを戻してみる。
「おお。」
僕は声を上げた。
一四インチの小さなブラウン管の中では、金髪の男女が全裸になって絡み合っていた。しかも、画像にはモザイクがない。この国ではその様な規制がないのである。サンタ・モニカの雑貨店で目にした雑誌によっても僕はそれを確認している。画面いっぱいに映された男性のそれは僕にとって未知との遭遇であったが、こんな事で自信を喪失するような僕ではない。しかし、日本のホテルでもこの手のビデオを見ることは出来るが、まさかアメリカでも同じとは僕は思いもしなかった。それも普通のモーテルで、しかも無料なのである。ただし、残念ながらこのサービスはここが最初で最後であった。さすがは日系人の多い町である。
僕はかなり空腹を覚えていたので、シャワーを浴びてから近くにあるレストランまで歩いて出掛けた。今夜も、注文はステーキにビールと決めている。アメリカにいる間、一ヶ月間毎日このメニューでもおそらく僕は平気だろう。大きいだけのさほど旨い肉ではないが、不思議とアメリカで食べるとこれが最高の夕食になるのである。食事をしながら、僕は今日走ったルートをマジックで地図に記してから日記をつけた。これからは、毎日この作業だけは欠かさずに行うことと決めている。
食事を終えてモーテルの部屋に戻ってからは、日本にいる友人に宛てて手紙を書いた。昔から僕は割と筆まめな性格なのである。サンタ・モニカのモーテルでもらったビジターズ・マップの空いたスペースを使い、そこに今日一日の出来事などを綴る。緊張と疲労と興奮にアルコールの酔いも加わって、文章はかなり乱暴になっているような気がする。ペンは走るが走るに任せるままで、内容はバラバラでまるで脈絡がない。しかし、今の僕の気持ちが率直に伝わって、これはこれでいいだろうと思った。
マップを元通りに折り畳んで糊付けをして切手を貼る。日本でもよく見かけるチャバネ・ゴキブリが壁を這っていたので記念に同封してやろうと思ったが、酔っているので逃げられてしまった。
走行距離 四二二km
八月九日 二三:四五
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