MILWAUKEE
広大なトウモロコシ畑の続くI−90を西へ。昨日から、まったく変わらない景色が続いている。
朝、モーテルを出る時には、上空一面にどんよりとした雨雲がかかっていた。僕は、念のためレイン・ウエアーの入った袋を荷物の一番上に縛っておいたが、五〇マイルほど走ったところでその雲は途切れ、また青く広い空が広がっていた。
昼を少し回った頃、僕は給油のためにいったんハイウェイを降りた。
プレミアム・アンレッデッドと書かれたポンプの前にオートバイを付け、シートに跨がったままノズルを取り出してガソリンを入れる。ガソリン特有の匂いがゆらゆらと立ちのぼってくる。いい匂いだ。
入ってきたときに気が付いていたが、このスタンドには、コーヒーショップが併設されているようだった。ちょうど腹も減っていたところだったので、タンクに張り付けてあるビニール製のクリア・ケースからロード・マップを取り出して僕は店に入った。
ドアを開けると、コーヒーの香りが店中に充満していた。
入って左奥に向かって長い店内には、六つほどのテーブルと、手前に一〇人ほどが座れるくらいのカウンターが置かれている。しかし、テーブルの席は既に満席で、カウンターにも三席ほど空きがある程度だった。
一通り店内を見て、僕は入り口に最も近い、キャッシャーの隣のカウンター席に座った。すぐに、カウンターの中にいた、エプロンをした初老の女性が僕を認めて近づいてくる。
「コーヒー?」
彼女は、先ずそう聞いた。この国でのオーダーは、飲み物から始まる。しかも、この時間帯のそのオーダーは、コーヒーが当たり前のようだ。
「はい。」
一〇秒と待たずに出されたコーヒーを前に、僕はサンドウィッチを注文した。
煙草を取り出して火を付ける。L・Aでは、パッケージ・デザインは少し違ったが、普段から吸っているLARKを買うことができた。しかし、その後は、どこに行ってもLARKを見ることがなかった。メイド・イン・ユー・エス・エーのはずなのだが。そう思いながら、マルボロを買っている。さすがにマルボロは、どこに行っても売られていた。
しばらくして、サンドウィッチが僕の前に置かれた。パンは、よく見る柔らかくて白いものではなく、小麦色をした少し堅いものだった。そして、ボリュームは、この時間の食事にも十分満足できそうなほどだった。
大きく口を開いてサンドウィッチにかじり付き、それをコーヒーで胃に流し込む。カップにコーヒーの残りが少なくなると、タイミング良く女主人がポットを手に近づいて来て、熱いコーヒーを注いでくれた。
ほぼ満席の店内は、しかし、静かだった。おそらく皆ハイウエイを走ってきた人達だろう。どこから来てどこに向かうのかは走らないが、運転で疲れているのかも知れない。まあ大体そんなものだ。僕だって、例え連れがいたとしても、高速道路のサービス・エリアにあるレストランに入った時などは、ボーっとした時間が長くなる。
サンドウィッチを平らげ、空いた皿が下げられてから、僕は今日二本目になる煙草に火を付けた。起きてすぐに吸う煙草というのが嫌いなので、ここで吸うものが今日は初めてになる。朝モーテルでも、朝食でも取らない限り煙草は吸わない。起きてから食事をとるまでの間は、煙草の匂いを嗅ぐのも嫌で、僕は嫌煙家になる。また、換気の不十分な場所での喫煙も嫌いで、新幹線や飛行機などでは必ず禁煙席を予約する。まあ、自分勝手な話ではあるが。
僕は、脇に置いてあった四つに折り畳んだ地図を、両手に持って目の前に広げた。
これから向かう東部は、これまで走ってきた西側と違って、地図上のハイウエイはかなり複雑になっている。それは、おおむねミシシッピ川が境となっている。明日辺りから、東部の混雑の中に入って行くことになる。抜け出すまでにおよそ一〇日間。大都市に対する期待と、大自然に対する未練が、今は僕の中に混在していた。
老夫婦が、清算のために、僕のすぐ隣にあるキャッシャーの前に立った。僕の視野に入る辺りまで顔を覗かせて、婦人の方が僕に話しかけてきた。
「地図なんか広げてどこへ行くの?」
僕は、折り畳んであった地図の全面を開いた。地図には、昨日まで走って来たルートを、日付と共にマジックで記してある。
「L・Aからこう回って来たんです。これからは東海岸に向かって、ぐるっとアメリカを回ってL・Aに戻ります。」
マジックで引かれた線をなぞりながら、僕はつたない英語で話した。そして、線の途切れた今日以降これからの予定を、ぐるっと大きく円を描いて説明した。
「へえ、すごいわね。でも、まだまだこれから先は長いわね。」
それから婦人は、穏やかな笑みを表情に浮かべ、静かなゆっくりとした口調で言った。
「グッド・ラック。」
何がどうつながるのか僕にも分からないが、この時、映画「フライド・グリーン・トマト」の映像が僕の頭には浮かんでいた。
「ありがとう。」
老夫婦は、静かにドアを開け、ゆっくりした歩調で表に出て行った。
ガソリン代と食事代を併せて支払い、僕は停めてあるオートバイに向かった。
今日までに五〇〇〇キロ近い道程を走って来たが、いまのところGPZにトラブルはなく快調だ。高速走行が続いているが、休憩はしっかり取っている。九〇〇ccの排気量ならそう簡単にへばったりはしないだろう。ハーレーだって大陸を走り回っているのだ。
「カワサキに出来ないはずはないよな。」
このGPZが、今の僕にとって唯一の頼りだ。セルを回すと、まだエンジンは暖まっていたので、太い音で安定したアイドリングをした。十分に暖まっていない時は、息継ぎをするような音になる。
I−90は、州境に沿って流れる大河ミシシッピ川を渡った。この川を二〇〇キロほど遡ると、ミネアポリスとセントポールに出ることになる。ミシシッピ川を挟んで隣り合う、いわば双子都市だ。
ミネソタ州からウイスコンシン州へ入る。ウイスコンシン州は、北欧諸国やドイツ、スイスなどからの移民が多かったので、全米でも有数の酪農の盛んな州になっている。また、住民の四〇パーセントをドイツ系が占めており、そのため、五大湖の一つミシガン湖沿いにあるミルウォーキーは、ビールの生産で有名な町となった。ミルウォーキーの西、およそ七〇マイルにあるマディソンが、この州の州都になっている。
川から八〇マイルほど入った、ウイスコンシン・デルという小さな町が、当初の目的地だった。だが、時間に十分のゆとりがあったので、ミルウォーキーまで足を伸ばすことにして走り続ける。最後の方が強行なプランなので、距離を稼げるときは稼いでおきたい。余裕ができれば、予定外の寄り道をしたくなったときにも対応できるだろう。後にとんでもない「予定外」に遭おうとは思いもしなかったが。
マディソンに入る手前で、I−94に移って東に向かう。それから一時間としないうちに、ミルウォーキーに着いた。ダウン・タウンと書かれた標識に従って走り、ハイウェイを出る。
ダウン・タウンに下りてからガイド・ブックを開いてみたが、ビール工場以外には特に見て回るもののない町だと書かれてあった。でも、街並みは優雅で美しく、僕にはそれだけで十分に満足できるものだった。
街には、柔らかなパステルカラーやカーキ色が目立った。近代的なビルも多く建っているが、上に行くほど細くなり、最上部に鐘を吊るしてあるような欧風のビルも見える。アメリカの街は、どこも大変に美しいと僕は思う。全体のバランスからそう感じるのだろう。電信柱や派手な看板、奇をてらうような建物など無く、非常に調和が取れている。黄色地に赤い文字のバカでかい看板を、街の真ん中に立てるような事はしないのだ。
僕は、今日の宿を探すために、街の中をゆっくりとオートバイを走らせた。この街の中心部は、とにかく坂の多い事が印象に残る。車や人も多く、あちこちで渋滞している。
車一〇台くらい先に、オートバイがいるのが見えた。白いTシャツを着た黒人の男が乗っている。がっちりした体格で、後ろから見ると、胸の辺りの背中の幅が、高さと同じ位ある。肩も筋肉で盛り上がっていて、胸囲は僕の三倍くらいはありそうだった。ヘルメットは被っておらず、身体の割に随分小さく見える黒光りしたスキン・ヘッドが、その背中の上に乗っていた。オートバイは、よく見てみるとカワサキのZZR1100のようだった。アメリカではZX11の名前で売られている。彼は、マフラーを集合タイプのものに換えているようだった。あのオートバイは、普通の集合管でも、空吹かしをすると大きな太鼓を叩いたような音がする。しかし、触媒を外してあるのか、渋滞の中で彼が空吹かしをする度に、とんでもない爆音が辺りに響いた。
僕は、渋滞を擦り抜けてでも先に行きたかったが、そのためには、一旦彼に並び、それから追い越して行かなければならない。そんな勇気のない僕は、渋滞をただじっと耐えた。
大きな街だと、モーテルを探すのに苦労する。今回もご多分に漏れず、あちこち探してようやく一軒のモーテルを見つけることが出来た。
入り口の前にオートバイを止めて、僕はフロントに入った。カウンターには女性が座っていた。軽い挨拶をして、部屋が空いているかと尋ねると、空いていると彼女は答えた。料金はいくらか聞くと、三六ドルと答えた。なかなかお得なモーテルを見つけることができたようだ。僕は、泊まることを彼女に告げた。
カウンターに用紙が置かれ、パスポート・ナンバーと名前などをそこに記入してから、用紙の上下を逆さにして彼女の方にやった。
「オートバイのライセンスナンバーは?」
「ない。」
「・・・?じゃあ、免許証のナンバーを書いて。」
走行距離 七一四km/五六八七km
八月一七日 二一時一〇分
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