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8.6 SANTAMONICA 3 ≫≫

SANTA MONICA 2nd day


Chapter.13

 目覚めると、時刻は一〇時に近かった。
 この部屋は一階にあるので、さすがに昨夜はきちんと戸締まりをして布団に入った。起き上がり、カーテンと窓を開けると、乾いた暖かい風が部屋に流れ込んできた。

 目覚ましはなく、誰かに起こされる訳でもない。今日一日の予定も、何もない。よく晴れた夏の日に、サンタ・モニカの、モーテルの一室で一人で目を覚ます。外に出ても僕を知っている人はどこにもおらず、見知らぬ街角には常に新鮮な出会いがあり、気が向けば、僕はいつでもそれを探索に行くことが出来る。この上なく、贅沢な朝だと言っていいだろう。また、これほどの自由な気分を、僕は未だかつて味わったことがない。
 普段の休日に自宅に一人でいても、朝から電話が鳴ったり、新聞の勧誘などが訪ねて来ることもある。ステレオの電源を入れれば、FM放送からいつものDJの声が流れてくる。玄関を出ると、隣人に会うこともある。いくら東京の街が広いとは言え、車を走らせれば、どこも見覚えのある街角ばかりである。嫌な事も、良い事も、仕事も、遊びも、どうでもいい事も、様々な記憶が布についた染みのように、街の至る所にある。それはごく当り前の生活なのだが、今は、それがとても窮屈なことのように思える。
 現実逃避の癖が、僕にはあるのかも知れない。もしそうだとしたら、今回の旅を実行に移した原動力も、恐らくはそれに違いないだろう。

Chapter.14

 腹が減っていたので、僕は部屋を出て、昨日行ったサンタ・モニカ・プレイスに出掛けることにした。この辺りの道路は、一方通行路が多く、広い所では片側四車線ほどになる。全体にカーブがなく、碁盤の目のように整っている。これなら迷うこともないだろうと、目的地まで少し遠回りをしながら歩くことにした。
 小さな交差点をいくつか過ぎたところで、大きな道路と交わる、信号機のない交差点に差し掛かった。目の前を横切る道路は、一方通行だが四車線と道幅が広く、交通量も多い。横断歩道はあるが、信号もないこの交差点を一体どうやって渡ればいいのかと、僕は横断歩道の前で立ち止まった。すると、ほとんど同時に、全ての車線の車の流れが止まった。不思議に思い、僕は周りを見回した。信号などは、やはりどこにも見当たらない。ただ、ドライバーの視線が皆僕の方に向いているので、これは、僕のために停車してくれたものと考えるべきだろう。僕は、急いで道路を横断した。
 今歩いている細い通りを目的の方角に向かうには、途中、このような交差点を何度か通過する必要があったが、どの交差点でも同じだった。信号がなくても、手を挙げなくても、歩行者が横断歩道の前に立ち止まるだけで、車は停車するのである。それが奥の車線でも手前の車線でも、走っている車はすべて同時に停車する。不意に停車した前の車に追突する車がいないのは、どのドライバーも、歩行者に十分注意を払っている証拠だろう。習慣の違いであり、ここでは当然のことなのかも知れないが、僕にはカルチャー・ショックであった。

 サンタ・モニカ・プレイスに入り、そのまま、一階のファースト・フード・ショップが立ち並ぶスペースへと向かった。少し並んでコーヒーとサンド・ウィッチに卵料理を注文し、空いているテーブルを探して席に着く。今日もここは賑やかで、夏を楽しむ人たちで華やいでいる。やはり家族連れの姿が多く、あちらでもこちらでも、子供が騒いでいる。親がいくら手を引っぱっても、色とりどりのアイスが入ったケースの前に立った女の子は、中を覗き込んだまま決してその場を離れようとはしない。ついに見放した親がその場を去ろうとすると、残された女の子は、途端に大声で泣き叫ぶ。

Chapter.15

 店を出た僕は、まだ見ていないサンタ・モニカの海岸を見に行くことにした。ここからだと、南西の方角に真っ直ぐ五〇〇mも行けば、海岸に出られる。 今日も陽射しは強く、五分も歩けば眉の筋肉が疲れてくる。乾ききって白っぽい道路は、海が近くなる頃から下り坂になる。そして、少し先の、低いところに、青く澄んだ海原の一部が見えてくる。ここから見る限り、海原は大変に穏やかだった。
 坂を下り、僕は砂浜まで降りて行った。降りた所に、サンタ・モニカ桟橋が架かっていた。砂浜には、海岸線に平行して伸びる道路が設けられていて、ジョギングやローラー・スケートなどをしている人の姿が目に付く。砂浜には、寝そべって日光浴をしている人が大勢いた。まるで、映画「ビッグ・ウエンズデイ」の中で見たのと同じような光景である。

 北西から南東に向かって、サンタ・モニカ湾に面した長い海岸線は続いている。南東の端にレドンド・ビーチなどがあるが、良く知られているのは、サンタ・モニカ、ベニス・ビーチ、マリナ・デル・レイなど、五、六kmに渡って続く海岸だろう。多くの映画の舞台にもなっているので、日本人にも馴染みが深い。
 この中で最も歴史が古いサンタ・モニカ・ビーチは、一八〇〇年代後半には、ダウン・タウンに住む人達のリゾート地となっていた。
 ベニス・ビーチは、一九〇〇年代の初めに、アポット・キニーという富豪が、イタリアのベニスを真似た理想の港町をここに造ろうとしたのが始まりである。彼は、海岸に人工の運河を造るところまでは成功した。しかし、彼にとっては運悪く、ちょうどこの地で石油が発見されたことにより、夢半ばにして計画は頓挫した。そして、一九二九年までには、その運河も市によって埋め立てられてしまった。今では、付近の建物と、ビーチの名前にだけ、その名残を見ることが出来る。
 マリナ・デル・レイは、古くから港としてあったが、今から三〇年ほど前に、世界でも有数のヨット・ハーバーに姿を変えた。入り組んだ水路には、小型のヨットがずらりと並んで係留されている。タヒチ・ウェイ、バリ・ウェイ、ボラボラ・ウェイなど、ビーチ・リゾート地らしい名前が、水路の桟橋には付けられている。
 サーフィンなどのマリン・スポーツもこの辺りでは盛んに行われており、砂浜の手前に長く伸びるオーシャン・フロント・ウォークには、小物からTシャツ、食べ物などを売る店が数多く並んでいる。賑やかでは飽きることのないリゾートである。ただし、日本の海水浴場と違い、ここでの飲酒は御法度とされている。映画などで見るように、紙袋にでも包んで飲んでいれば見つからないのかも知れないが、実際のところどうかは知らないし、試して見るつもりもない。

 少し冷えてきた海風を感じて、僕は目を覚ました。陽が傾き始め、砂浜で寝そべる人や、ジョギングをする人たちの姿も消えている。砂浜に置かれたベンチに横になっていて、眠ってしまったようだった。起き上がりぼんやりしていると、少女が、大きな犬を連れて砂浜にやって来た。彼女は、犬を座らせておいてから、太極拳のような舞いを始めた。ゆっくりとした動作で、鳥が翼を広げるように両腕を広げ、片方の脚を浮かし、そのままの姿勢で、しばらく静止した。大陽はみるみる水平線の向こうに沈み、三〇分としない内に、辺りはすっかり薄暗くなっていた。舞いを続ける少女と、その側で大人しく座ったままの大型の犬の姿が、わずかに残った赤い夕陽を背景にして、小さなシルエットになる。美しい光景だなと思った。

八月五日




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