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8.5 SANTAMONICA 2 ≫≫

SANTA MONICA 1st day


Chapter.9

 朝食を取った後、フロントでチェック・アウトを済ませる。ついでに、昨夜書いた手紙も出しておいてもらえるよう頼んで預けておいた。
 今日は、荷物を詰め込んだバックをかついで通りを下った。相変わらず、すこぶる天気は良い。強い陽射しを浴びていると肌で感じる気温はかなり高かったが、湿度が低いせいか、バックを担いで歩いていても不快な暑さにはならない。
 少し歩いた所にあるホリディ・イン・ハリウッドの玄関前には、いつでも数台のイエロー・キャブが止まっていた。そこで僕は大型セダンのイエロー・キャブを拾い、昨日保険会社に探してもらったサンタ・モニカにあるモーテルのアドレスを書いた紙切れを、ドライバーに渡した。車は、すぐに最寄りの入口からハイウエイに乗った。
 二、三〇分程走ると、車はサンタ・モニカに着いたらしく、車線を変えて一般道へと降りるスロープを下った。降りた所には、大きなショッピング・センターのような建物が見えている。しかし、こうして周囲の景色を眺めながらハイウエイを走るのも結構だが、早く自分でハンドルを握って、青空の下を気の向くままに走りたいものである。

Chapter.10

 ネルソンWayがオーシャンAveから分岐した所に、アパートのような二階建ての建物がある。通りに面して「BAYSIDE HOTEL」とネオン・サインが出ているが、どう見ても安モーテルである。その建物の前で、イエロー・キャブは停車した。車を降りると、海が近いことが匂いで分かる。照りつける太陽はじりじりと容赦ないが、その陽射しは爽やかなものだった。
 通りに沿って建つモーテルは、低いコンクリートの塀によって、通りと隔てられている。建物は少し変わった造りをしており、また、二棟に分かれているようだった。通りから見て建物の右寄りにある低い階段を上がると、正面に小さなフロントがあり、そこから左右に向けて板敷きの通路が伸びている。右に行くと、すぐにまた階段があり、今いた通りへと降りるようになっている。左に行くと、その先で通路は何度か折れ曲がっていて、番号の書かれた部屋のドアがそれに沿って並んでいる。途中には、棟と棟の間へと、分岐して伸びる通路が見える。並んだドアの反対側、つまり通路の外側には、一部広くスペースが取られた場所があり、そのスペースに、丸いテーブルが四つと、それぞれに四脚ずつの椅子が置かれていた。そこからは、手摺り越しに、少し低いところにネルソンWayやオーシャンAveを見る事が出来る。テーブルや椅子、手摺り、そして建物全体が白いペンキで塗られていた。
 フロントに入り、僕は、中にいた男性に予約をしていることを伝えた。彼は、壁に張られた料金表を指して説明を始めた。見ると、一階と二階では料金に差がある。ウィーク・エンドかウィーク・ディかによっても、違うようだった。リゾート地らしい。一階でいいと僕が言うと、彼は壁に造りつけてある棚から鍵を取り出し、カウンターに置いた。そして、まずこの部屋を見て来いと言った。気に入ったならチェック・インしろと言うのである。
 渡された鍵の番号が書かれた部屋は、二つの棟に挟まれた位置にドアと窓があり、まるで陽当たりと言うものがなかった。せっかくのサンタ・モニカで、これはつまらない。僕はフロントに戻って、通りに面した部屋は空いてないかと尋ねた。自己主張の強いアメリカ人社会では、他人の主張も認めなければ、折り合いが付かない。アメリカ人である彼は、面倒臭そうな顔をすることもなく、背後の棚から別の鍵を取り出した。
「一部屋空いてるが、ペンキを塗って間もないので匂うかも知れないぞ。」
 そう言って渡された鍵の番号が書かれた部屋は、確かにペンキの匂いが残っていた。しかし、それも我慢出来る程度のかすかなものである。海のある南側に向かってドアと窓が付けられているので、室内が明るく、風通しが良い。何より、通路を挟んだドアの正面にテーブルの並べられたスペースがあるので、のんびりと過ごすには申し分のないロケーションに思えた。やはり、カリフォルニアのサンタ・モニカは、こうでなくてはならない。僕はまたフロントに戻ってから、この部屋でいいので三日ほど滞在したいと男に伝えた。連泊するならその都度言えばいいと男が言うので、とりあえず、今日の分の部屋代だけを先に払っておいた。

 この時の旅の記憶は、よほど刺激が強かったのだろうと思われるが、以後数年経った今でも、ペンキの匂いを嗅ぐと、アメリカを思い出すように僕の脳はプログラムされたままである。

 僕は、部屋に入ってから、バックの中身を取り出した。ラジオ、シェーバー、歯ブラシ、Tシャツ、ペンやメモなど、荷物を洗いざらい机の上に広げる。こうして初めて、ここが自分の部屋であると感じられるようになるのである。犬が電信柱に小便を引っかける行為に似ているのかも知れない。
 カーテンを開け、窓やドアも開け放しておく。海が近いので、常に風が吹いている。潮の香りをかすかに含んだ乾いた空気が、部屋の中で、ペンキの匂いとブレンドされる。湯を沸かし、備え付けのパック入りコーヒーを入れると、匂いはさらに複雑になった。
 目の前を、オーシャンAveとネルソンWayの両方が通っているが、車の往来が少ないので、騒音と言うものはない。五メートルと置かない間隔で植えられたパーム・ツリーが、強い陽射しを鮮やかな緑の葉に反射させて輝き、輪郭のはっきりとした影を通りに落としている。その影の下を、水着を着て歩く人の姿が見える。ネルソンWayの道幅の半分を占めて設けられた駐車帯には、車が数台止まっており、そこにも、車のそばで水着に着替える人の姿があった。ここから、五分も歩けば、サンタ・モニカ・ビーチに出ることが出来る。
「ピュピュッ、ピコピコ」
 聞き慣れない、奇妙な電子音が響く。どうやら、音を出しているのは車に付けられた盗難防止装置らしく、装置のセット解除をする度にこの音が鳴るようだった。アメリカではこれが当たり前らしく、どこにいても「ピュピュッ、ピコピコ」が聞こえてくる。日本などの海外で長く生活しているアメリカ人にとって、この音は、母国を思い出すきっかけになるのかも知れない。また僕にとっても、ペンキの匂いと同様に、アメリカを思い出すきっかけの一つになっている。
 僕はラジオを手に取り、アンテナをいっぱいに伸ばしてから、スイッチを入れた。電波状態は良好で、チューニングも上手い具合に合っていて、カリフォルニアの空気に合った、陽気で軽快な音楽が、雑音もなくスピーカーから流れ出した。少しボリュームを上げてから、僕はそのラジオを机の上に置いた。小さなスピーカーから流れる音は、部屋の壁に反響しながら風に舞い、まるで遠くで聞いているかのように耳に届いてくる。部屋に吹き込んでくる風とその音は、実に爽やかに、今いるカリフォルニアの空気を感じさせてくれた。

 しばらくして、僕は部屋を出て、棟に挟まれた場所に設置された公衆電話に向かった。T・C社に電話をかけるためだったが、オートバイが降りてくる日は未だにはっきりしないという答えだった。滞在しているモーテルが変わったことを伝えようすると、小さな声で何やら繰り返す女性の声が、受話器から聞こえてきた。
「何ですか、これは。」
 僕は、電話の相手に尋ねた。
「コインが足りなくなっているようなので、追加しないと通話が切れますよ。」
 そう言われて、僕は慌ててポケットをまさぐった。
 一体いつになったらオートバイに乗れるのだろうか。会話を終えて受話器を置くと、ため息が出た。
 部屋に戻ってから、ガイド・ブックを開いてサンタ・モニカのページを見てみると、ハイウエイを降りたところにあった大きな建物が紹介されていた。サンタ・モニカ・プレイスというショッピング・センターのようだった。僕は、そのショッピング・センターにでも行ってみることにした。

Chapter.11

 時間も昼近くになり、陽射しはその強さを一層増していた。降り注ぐ陽射しにアスファルトからの反射も加わり、あまりの眩しさに眉を寄せたままでいなければならない。そうして歩いていると、次第に眉の筋肉が疲れてくる。ここでは、サングラスは必需品のようである。
 コロラドAveとの交差点に着くと、そこに小さな店が二つ並んでいた。店と言っても、小さな箱のような建物の中に調理場があり、その前に、パラソルを立てた白いテーブルを並べて椅子を置いてあるだけの、簡単なものだった。白いペンキの塗られた、四角く小さな木造りの箱の中では、コック帽をかぶった小太りの男が、調理に勤しんでいる。メニューは、壁の、窓の上に書かれていた。「FOOD」の下に、ハンバーガーやトースト、サンド・ウィッチに卵料理、何なのかよく分からないもの。「DRINK」の下には、コーヒーを始めコーラやオレンジ・ジュースに、これもよく分からないものまで、豊富で、値段も安い。まるでいいものは口にしていないが、全般的に、アメリカでの食費は日本と比べるとずっと安く済むようである。
 意味不明な料理は避け、僕は無難なビーフ・ハンバーガーとコーラを注文して、歩きながら食べることにした。

 サンタ・モニカ・プレイスには、地図から想像していたよりも、ずっと短い時間で着くことが出来た。大きな建物の中に入ると、三階くらいまでの吹き抜けの造りになっていて、一階の奥には、フロアーを囲むように様々なファースト・フード店が並んでいた。広いフロアーには、十分な数のテーブルが置かれていたが、それでも、ほとんど満席の状態である。夏休みに入っているためか家族連れが多く、アロハやポロ・シャツに短パン姿の人たちが、目に付く。皆一様に日焼けをしているのだが、どうも白人の肌は陽に弱いらしく、カラフルな服装から露出した、小麦色ならぬ真っ赤な肌がそこいら中に溢れる様は、あまり気持ちの良いものではなかった。
 エスカレーターで二階に上がると、玩具、電器、服や家庭用品など、様々な種類の店舗が通路に沿って並んでいた。洋服を扱う店の何軒かにぶらぶらと入ってみたが、どこでも店員がすぐに寄って来るので、なかなかゆっくりと見て回ることが出来ない。こちらとしては、買い物が目的ではなく、ただ暇つぶしに来ているだけなのだ。
 三階まで上がって、結局ラジオの乾電池とポラロイドのフィルムを買っただけで、僕は引き上げることにした。曖昧な笑顔で店員をやり過ごしていたので、作り笑いの口元が、つりかけていた。

Chapter.12

 外はまだ十分に明るかったが、時計の針は、既に夕方であることを示していた。僕は、いったんモーテルに引き返して、シャワーを浴びた。しばらく経って、食事のために再び外に出ると、昼間と比べて空気が幾分か冷えているように感じられた。短い時間に、町には夜のとばりが下りようとしている。

 昼間歩いた通りの、海に向かって一本下った通りを行くと、まるでペンションのような造りの白いホテルが建っていた。輪郭にたくさんの光をまとってライト・アップされたその建物は、濃い青色をした空にかすかに残された明るさとは、不釣り合いに暗くなった街並みの中で、着色された絵葉書のようにそこだけが浮かんでいるようだった。
 オーシャンAveを一五分ほど歩くと、壁に大きく、「RESTAURANT」と書かれた店に着いた。ドアを開けてみたが、店内は薄暗く客の姿は見えなかった。
「Hi」
 僕の姿を見て、すぐに大柄な女性が笑顔で声をかけてきた。彼女に薦められたテーブルに腰をかけていると、女性は相変わらず笑顔のままで、メニューを運んで来た。フロアーで働いているのは、彼女一人だけのようである。まず飲み物を何にするかと聞かれ、僕はビールを注文した。すぐに運ばれてきたビールをグラスに注ぎ、一息に飲み干すと、それは渇き切っていた喉を焼くようにして胃に下っていった。
 料理は、内容がよく分からないまま、チキンの文字が入ったものを注文したのだが、いざ出された料理は、豪快だった。楕円形をした底の深い大きな皿に、トマトをベースとしたスープが溢れんばかりにたたえられ、その中に、鳥のもも肉が丸々一枚とパスタが浸っている。そして、二切れのフランス・パンが脇に添えられた。大食漢を自負する僕も、このボリュームにはたじろいでしまった。これほどの量が普通に出てくるようでは、アメリカ人の胃袋に疑問を抱くのも仕方ない。見た目には何とも乱暴な料理に思われたが、スープを一口飲んでみると、これがかなり旨いものであった。ビールを追加しておいてから、喉の渇きと空腹に任せて、僕は目の前の料理に挑んだ。

 しばらくの格闘の後、ようやく出されたものを全て平らげると、動けそうにないほどに腹が張った。
 食後にウオッカというのは、いわゆる酒の飲み方としてはへそ曲がりな面もあるようなのだが、それが習慣になっている僕は、ウオッカを注文して、小ぶりのグラスに入った生ぬるいウオッカを時間をかけて飲んだ。普段飲んでいる、フリーザーで冷やしたものと比べると、常温のウオッカは少し甘く感じられる。
 夢中になって料理に挑んでいたが、一段落付いて周りを見やると、空いていたテーブルはほとんどが埋まり、店内は賑やかになっていた。からからと大きな笑い声を絶やさないウエイトレスは、大きな体を揺すりながら、テーブルの間を行ったり来たりしている。皿を頭の高さまで掲げ、店内を忙しく歩き回る彼女の姿は、はたから見ていても楽しそうである。
 客の笑い声や話し声と、彼女の大きな声とが、アルコールでぼやけ出した僕の頭の中でこだまを始める。二杯目のウオッカが空く頃になると、大量の食事とアルコールに煙草、それに異国での緊張感と周囲の喧噪が加わり、思考は途絶えがちになり、視線が泳ぎ始めていた。警戒のサインである。これ以上いると、立ち上がれなくなってしまう。僕は店から退散することにした。会計を済ませ、足元を少しふらつかせながら、僕は上機嫌で店を出た。今はただの酔っぱらいである。

 完全に陽が落ち、外は真っ暗になっていた。海が近いので、いつも乾いた風が吹いている。足元に転がる石ころ一つを見ても、建物の柵や、道端の雑草さえもが切ない気持ちにさせる、穏やかで優しい夜である。誰かと一緒にいるのもいいが、こういう時は一人の方がいい。千鳥足で、時間をかけてモーテルに向かった。


八月四日




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