SPOKANE
目覚めると外が暗い。
そろそろとカーテンを開けてみると、上空には厚い雲がかかっていた。今にも雨が降り出しそうだ。ずっと荷物の底にしまってあったレイン・ウエアーの入った袋を出しておく。
STATE405に乗る。ウィラメット川を越えてI−5South、I−84Eastを乗り継ぐ。ハイウェイはポートランドの市街地を眺めながら蛇行した。STATE205が交差してくる辺りで二度大きく曲がってからは直線になり、東に向かってポートランドを後にする。
しばらくすると、やはり雨が降り出してきた。雨粒は大きくはないが憂鬱な気分にさせる。僕は路肩にオートバイを止めて、袋からレイン・ウエアーを出した。オートバイ用のレイン・ウエアーは普通のものと少し構造が違う。蒸れないように空気だけを通すメッシュ加工がされていたり、風でばたつかないよう上着の腰の辺りにはベルトが付いている。首元からの雨の侵入を防ぐために襟は立つようになっていて、手袋や足袋(?)も付いているので完全防備だ。
レイン・ウェアーを着てから一時間と走らないうちに雲の切れ間が見え始め、やがて雨もやみ、明るい陽が射してきた。僕はさっさとレイン・ウエアーを脱いだ。そのうち雲は見えなくなり、澄んだ青空が見渡す限りに広がった。
左手北側にゆったりとしたコロムビア川の流れが見える。ポートランドから東へ二〇〇マイルに渡ってコロムビア川はI−84に並行して流れ、その間はワシントン州との州境になっている。コロムビア川と共に鉄道も並行して走る。
一九世紀始め。ジョン・ジェイコブ・アスターやロバート・スチュアートら探検家たちによって、ブルー山脈やウインドリバー山脈などの苛酷な山脈を越えるオレゴン街道が発見された。今隣を走る鉄道は、そのオレゴン街道を辿って引かれたものだ。
朝早い時間に、この鉄道をシアトルからポートランドを経由してソルトレイク・シティまで旅客列車「パイオニア」が走る。同じ頃、L・Aを出発した「サザン・ウィンド」もソルトレイク・シティを目指して走っている。ソルトレイク・シティに到着した二つの列車は、サンフランシスコから来た「カリフォルニア・ゼファー」に連結される。そして、長い列車となった「カリフォルニア・ゼファー」は、ロッキー山脈を越えて終点であるシカゴへと向かう。
だが、ここで三つの列車は必ずしも時刻表通りに合流できる訳ではない。どれかが遅れる場合が多く、結果「カリフォルニア・ゼファー」は、時間通りにシカゴに到着しないことで有名になってしまった。
鉄道を西へ向かう貨物列車の姿が見えた。
つなぎ合わせた車両をくねらせ、いったいどこまで続くのかと思うほどの長さだ。川沿いの風景を楽しむようにゆっくりとした速度で走っている。川岸には芝生が植えられ木立も見える。コロムビア川には遊覧船が優雅に浮かび、対岸にワシントン州のなだらかな丘陵が広がっている。ここから望む風景には、ここに暮らす人々の精神の豊かさが表われているようだ。
予定のシアトルをキャンセルしたので、今日は昨日ほど急いで走る必要はない。これといって立ち寄る場所もない。二時間に一度と言わずあちこちでハイウエイを降り、景色を眺めながらゆっくりと東を目指した。
東西に流れていたコロムビア川が北に流れを変えた。
僕は、終点ソルトレイク・シティに向けて南下するI−84から別れ、I−82に乗って川といっしょに北へ向かった。I−82は、すぐにコロムビア川を渡ってワシントン州へ入る。
ワシントン州は、一八五〇年頃まではオレゴン州の一部だった。松などの常緑樹が多く、「常緑樹の州」のニック・ネームで呼ばれる。州の北西部にプージェット・サウンドと呼ばれる複雑に入り組んだ大きな湾があり、カナダのバンクーバーと湾で向き合うオリンピアが州都になっている。オリンピアも人口三万人足らずの小さな都市だ。アルミ生産や製紙などが州経済に大きな役割を果たしているが、豊富な木材や鉱物資源に加えてコロムビア川からの安価な電力がそれを支えている。シアトルには、従業員八万人を抱える航空機会社ボーイング社があり、この巨大企業が州に与える影響も大きい。
渡ったばかりのコロムビア川だが、しばらくすると大きく旋回してきて再び目の前を横切る。I−82はここから西に向かうので、U・S395に乗り換えて北を目指す。辺りは、地平線に至るまで視界の一面に腰丈ほどのすすきが生い茂っていた。U・S395は、そのベージュ色のふかふかの絨毯の中を真っすぐに彼方へと伸びている。その先に何かがあるとは思えないような光景だった。
実はこのすすきのすぐ向こうには、ハンフォード核研究センターがある。
「アメリカ全体を巨大な工場にでもしない限り原爆など造れるわけがない。」第二次世界大戦が勃発した一九三九年、量子論の父と呼ばれるニールス・ボーア博士はそう語った。そのわずか三年後、「マンハッタン計画」が始動した。この計画は、まさに国家を挙げての原爆製造プロジェクトだった。ニューメキシコ州のロスアラモス研究所を始め、テネシー州オークリッジにはウラン分離工場が設立され、このハンフォードにはプルトニウムの生産・分離工場が建てられた。シカゴ大学やカリフォルニア大学などもこれに協力している。
二〇億ドルを投じて五五万人を動員したこの計画では、三つの原爆が造られた。一つは、一九四五年にニューメキシコ州アラゴモードで行われた史上初の核実験で使われている。そして、残る二つの「ちび」と「でぶ」がそれぞれ広島と長崎に投下された。
目の前に広がる、風に揺らぐすすきの絨毯は、廃墟と化してうめく大地にも見える。
八〇マイルほど走ると、I−90が見えてきた。
I−90Eastに乗ってしばらくすると、今日の目的地であるスポーケンまで五〇マイルと書かれた標識が目に入った。ここまで三〇〇マイル以上走って来たが、穏やかな風景のおかげもあってか、今日は全く疲れを感じていなかった。
まだ明るいうちにスポーケンに着く。スポーケンは、シアトルやタコマと並んでワシントン州の中では大きな町だ。この町には特色がある。条例でもあるのか、町のほとんどの建物がレンガ造りになっている。ゴチャゴチャとしてつかみ所のない東京に暮らす者には優雅な歴史を感じさせる。しかし、町には廃墟のような地域もあった。何故そうなっているのかは分からないが、レンガ造りの建物は崩れ、人影もなく忘れ去られたような異空間だった。
市内は、やはりほとんどが一方通行路になっている。他の多くの町と同じだ。慣れないうちは一方通行ばかりだと走りづらく感じたが、慣れると落ち着いて走れるようになってくる。対向車が来ないせいだろうか。よくは分からないが。
モーテルを探しながら町の中をゆっくりとオートバイを走らせた。
お世辞にもきれいとは言えないようなモーテルを、坂の多い町の中の坂のなかほどに見つけた。一泊だけだし、安そうなのでここでいいだろう。チェックインの時間も早いし、今日はゆっくり休めそうだ。やはり今日くらいの距離がちょうどいいのかも知れない。
走行距離 六〇三km/二五六三km
八月一二日 二一時四〇分
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