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9.1 DAPHNE ≫≫

TAMPA


 部屋の窓からは、道路とその向こうに広がるメキシコ湾を望むことが出来る。風はなく、湾は相変わらず穏やかで朝陽に輝いていた。今朝の天気はまずまずだった。浮かんでいる雲も雨雲ではなく、その中に太陽の光をたっぷりと含んだ積雲である。海上ハイウエイを走ることの出来る、二度とは訪れないかも知れない機会に、今日の天気は有り難い。昨日は、激しい雨でどこを走っているのかすら分からないようなひどい状況だったので尚更である。
 モーテルの駐車場には、僕のオートバイの他には一台乗用車が止まっているだけだった。まあ、大抵いつもそうである。今朝は僕にとってはまだ早い出発だったが、他の人達はとっくに行動している。シートに荷物を縛り付け、僕はノース・ルーズベルトBlvdを東に出てから海上ハイウエイがあった方角へと向かった。


 しばらくは、短い橋が幾つか続いた。橋は小さな珊瑚の島を経由して行く。小さいとは言え、そこには人も暮らしている。島を通り抜ける道路からは、ぽつぽつと民家も見える。白い壁に淡いオレンジ色の屋根を乗せた建物だ。その色や形は、周囲の風景によく溶け込んでいる。海沿いに低い造りで、建物の半分は深い緑色をした樹木に埋まっている。かなり年式を経ていそうな古ぼけたトラックも近くには止まっているが、人の姿はなく、島は静かだった。
 別の島では、小さな入り江にセールを降ろしたヨットが係留されていた。桟橋の上では男が三人立ち止まって話をしている。男達は皆、半袖半ズボン姿でつばの付いた帽子を被っている。近くに見えるレストランのような建物の周りにもやはり軽装の男女数人の姿があった。こちらは陽気な光景である。
 また橋を渡ると、同じように小さな入り江に漁船が数隻係留されていた。ヤシの隙間から見え隠れする港はとても小さく、そこには人の気配は感じられない。ヘミングウェイの「老人と海」で、老人が漕ぎ出して行った小さな港とはこんな所だったのかも知れない。「老人と海」で描かれた老人の住む小屋や小さな港、穏やかなメキシコ湾、それに九月の空などの全ての情景は、僕の中では暗鬱なものだった。今、その場面と同じような季節に、おそらく同じような場所に僕はいる。違うのは時代だけだろう。しかし、僕が実際に目にしているのは、陽射しを反射させて輝く穏やかな海原にヨットが浮かび、人々がマリン・スポーツを楽しむ陽気なリゾート地である。その風景は、本の中で思い浮かべたものとはまるで正反対である。ただ一つ頷けるのは、この地独特の気候風土に育まれた老人の持つ穏やかだが強い情熱だけだ。


 やがて、島を抜ける道路の向こうに一本の長い橋が見えて来た。セブン・マイルズ・ブリッヂに違いない。青い海に向かって伸びて、その先は水平線にまで届いている。船を通すためか途中一か所だけにアーチが架かっていて、定規で引いたように真っすぐな橋のそこだけが変化している。その変化は美しい橋をより美しく見せている。海に浮かぶ白く美しいこの橋を渡ってしまうのが何だか勿体ないような思いがした。
 実際に橋の上を走り始めると、テレビ・コマーシャルから受けるような印象は残念ながら味わうことが出来ない。向こうは空撮なのだから仕様がないだろう。でも、目の前には長く真っ白な道路が伸びているわけだし、周囲に広がる青い海もよく見える。それだけで十分に素晴らしい。今、ハンドルを握ってあの橋を渡っているんだという実感もある。
 橋には、余計なものが一切付けられていない。両側に一mほどの高さの白いコンクリートの壁が造られているだけである。これは素晴らしい事だと思う。ここにあるのは、白い橋と青い海に青い空だけなのだ。これがもし日本なら、電光掲示板や標識がずらりと並んだかも知れない。橋のすぐ隣に、島へ電気を送るための電信柱が間隔を置いて並んでいるが、これは大して邪魔にはならない。それともう一つ。平行してもう一本の橋が架けられている。これは、今の橋が出来る前まで使われていた橋である。幅がかなり狭く、使われていないためコンクリートの継ぎ目からは雑草が伸びており、今走っている橋と比べると随分見劣りする。近い将来、この古い橋の一部はアーノルド・シュワルツェネガー主演の映画によって爆破される。アメリカらしい話である。
 遠くからでは小さな変化に過ぎなかったアーチの部分だが、思いのほか急な勾配と高さを持って目の前に迫っていた。そこを走る車は、まるで壁を上り下りするカニか何かのようである。しかし僕もそこに向かっている訳だ。車がカニなら、さしずめオートバイの僕は甘エビと言ったところか?しかし、カニならともかく、壁を上るエビにはお目にかかった事がない。
 このセブン・マイルズ・ブリッヂもそうだが、海上ハイウエイのほとんどの橋には、駐車禁止の標識が立てられている。車だけとは書かれていないので、おそらくオートバイもだめなのだろう。それでも、僕はこの眺めをどうしてもフィルムに収めておきたかった。しかし、カメラはバッグの中なので停車しないことには取り出せない。僕は、思い切ってアーチを上りきった所で路肩に寄せてオートバイを止めた。そうして、バッグからカメラを取り出して、故障を装いながら車が途切れたのを見計らってシャッターを押した。旅の恥は、と言うつもりではないが、倫理に反した事については反省している。

 長い橋を渡り終えると、すぐに次の島に降りるための横道があった。僕は海上ハイウエイからその島へ降りて、折れ曲がった道路を走り、古いカフェのような店の近くでオートバイを止めた。オートバイを降りてヤシの下をくぐると、すぐに波打ち際に出る。そこに、海に少し迫り出すようにして、コンクリートで造られた通路のような場所があった。両側には手すりのようにしてロープが張られ、パイプを組み合わせて布を格子状に張っただけの椅子が二脚海に向かって置かれている。辺りに人の姿はなく、この場所や椅子が誰でもが利用しても良いのかどうかは分からなかった。この場所からは、たった今走って来た橋がよく見えた。

 通路の上を歩いていると、大きな巻殻を背負ったヤドカリのようなものが、陽射しを避けて通路の下に出来た日陰の所を歩いていた。野良ヤドカリが歩いている。その光景は、僕にとって不思議なものであった。さすがにマグロが切り身で海を泳いでいるとは思っていないが、ハワイにもグアムにも沖縄にすら行ったことのない僕にとって、この類の生物は水族館かブラウン管の中にしかいないものなのである。  僕は、海に迫り出したコンクリートの上に腰を降ろした。足元に打ち寄せる小さな波の音が聞こえてくる。それ以外には、何一つ聞こえてくる音はなかった。風もなく穏やかな日である。浮かんだ雲は止まったままで、動いているものは波と長い橋の上を行き交う数台の車だけである。時間が止まるとは、おそらくこういう事を言うのだろう。視覚聴覚ともに刺激が少なくなると、嗅覚が敏感になってくる。潮の香りが、脳の奥深い部分を刺激していた。この香りは、世界中どこに行っても変わらない。僕は、その同じ潮の香りに掘り起こされた様々な思いにふけってしばらく時間を過ごした。


 五月も終わり頃になると、僕は休みのほとんどを房総まで出掛けて海岸で過ごしている。砂浜ではいつも強い風が吹いており、六月に入ってからもまだかなり寒い日があるが、特に何をするわけでもなくビーチ・ベッドに寝そべって一日を過ごす。シーズン前で海の家はまだ営業していないが、一軒だけ早くから営業を始める所がある。シーズンに入ると多くのアルバイトを使うが、その頃はまだおばちゃん一人でやっている。訪れる客も僕しかいないので一人で十分間に合う。昼食に寄ると、彼女は九十九里の特産だという小さな貝を茹でたものを出してくれた。帰る時には手を振って送ってくれる。広い九十九里浜でそうして過ごす時間は、僕にとっては贅沢で貴重な時間であった。おかげで、この八月の初めにL・Aに着いた時には、モーテルの鏡に写った自分の姿を見てとても日本人とは思えないほどに僕は真っ黒に日焼けしていた。
 僕の故郷である四国の小さな町も、山と瀬戸内の海に囲まれている。以前は、町を抜ける国道と鉄道の一部は数kmに渡って海岸沿いを走っていた。低い山の裾がそのまま海に落ち込むようにして続いているのだが、僕がいた頃は、その山と海の境を国道と鉄道が緩く蛇行しながら並んで走っていた。国道からも鉄道を走る列車からも、穏やかな瀬戸内海を防波堤の向こうに見ることが出来た。台風が近づくと、荒れた波が防波堤の切れ目から国道に降ることもあったが、内海なので普段はとても穏やかだった。海水浴場もあって子供の頃には自転車で行ったりもしたし、そこまで行かなくても、どこででも泳ぐことが出来た。夕方になると瀬戸内に沈む夕陽に海原が赤く染まった。その美しさは、その町に住む僕の誇りでもあった。そして、その海には、子供の頃からの僕の記憶の多くも残されている。しかし、故郷を離れて数年経ったある年の八月。帰省の際に列車から見た懐かしい海は以前の姿ではなかった。埋め立て工事が進められている最中で、波打ち際だった辺りから数百m向こうまでは、盛られた土砂によって四角く幾つもに区切られていた。そして、かつての海は、その四角い枠の中だけにわずかに取り残されていた。あれから更に何年か経ち、海は今ではすっかり埋め立てられてしまった。静かな海原や美しい夕陽を見る事はもう出来ず、海岸だった所には大きな倉庫が建ち、蛇行していた国道はより直線的に引き直されている。海といっしょに僕の記憶にある故郷も埋め立てられたようで、僕は虚しさだけを感じた。そして、激しい落胆と憤りは今になっても消えない。誰かが海を消したのである。一体何を守りたいのだろうか。


 かつての美しかった故郷の海の姿が、目の前に広がっている同じ香りのする静かな海に重なる。この一カ月を、アメリカの大自然の姿に驚き感動しながら過ごしてきた。そして、可能な限り自然を保護して次世代に残して行こうとする姿が多くの場所で見られた。特にネイティブ・アメリカンたちには、その姿勢が顕著であった。
 アジアのインド洋に面したある地域に、丘のようにして盛り上げた土の上に造った粗末な家に住まい、牛を育てたり漁などを行って暮らす人々がいる。衣服を身に付け通貨もあるが、彼らは物質的に裕福ではない。彼らの住む地域は、海抜が〇mに近く地盤が大変に脆いこともあって、土地をインド洋の波によって徐々に浸食されている。ハリケーンが来ると海岸線は一気に数百mも後退し、しばらくは住居から出るために小さな舟を漕ぎ出さなければならない。家の土台を盛り上げているのはこのためである。最近の地球温暖化による海面上昇のこの地域への影響は大変に大きく、ここ一〇年余りで村自体が随分と後退した。それでも彼らは、その土地を出て暮らすことは出来ない。完全に海に沈んだらどうするのかと訪ねると、神に委ねると言う。遠く離れた先進国の影響によって、彼らは生活する場所を失おうとしている。皮肉にも、その彼ら自身は近代文明の恩恵をほとんど受けていない。
 自然に対して、何が大切な行為で何が愚かな行為なのか。自然が持つ力を制御しようとする考えは、人間の自惚れでしかない。自然の姿を思い通りに操ろうとする考えも同じである。特に近代文明に浸かりきった我々は、もっと自然を敬い、自然に合わせて生きて行く術を身に付けなければならない。
 僕は腰を上げた。何気なくコンクリートの下を覗くと、野良ヤドカリは相変わらずそこにいた。この小さな生き物は果たして弱いのだろうか。それともたくましいのだろうか。


 来た道を戻って再び海上ハイウエイに出る。まだまだ幾つも橋は続く。そして、今日の目的地も遠い。昨日はひどい雨のせいでずいぶん長く感じられた海上ハイウエイだが、今日はいささかの未練を残して走り終えた。フロリダ半島に上陸し、そのままマイアミ方面へ向かう。
 途中から、昨日通ったルートを変えてターン・パイクに乗ってみたが、そこを走る車の数はかなり多かった。僕は追い越し車線に入って先を急いだ。しばらく走るとペースの遅い集団に追いつき、アクセルを緩めて速度を落とした。追い越し車線の先頭を四輪駆動車が走っているのが見える。どうやらこの集団はその車が原因で出来たようだった。僕は、いつまでも車線を譲ろうとしないその車を少々強引に脇から追い越した。このあたりはオートバイならではである。僕は、集団から抜け出してから更に加速した。前にはしばらく車はなく、広い道幅にまた景色が開けた。
 ふと、僕はミラーを覗いた。すると、さっき追い越した四輪駆動車がぴったりと背後に付いていた。そして、屋根では赤色灯が回っていた。
「パトカーならもっとそれらしい車を使え。」
 路肩に停車した僕は、少し離れて停車して赤色灯を回し続ける四輪駆動車を見ていた。警官はすぐには降りて来ない。無線でも入れているのだろうか。やがて警官が降りて来た。そして、後に続いて降りて来たドーベルマンに僕の視線は釘付けになった。ドーベルマンは、耳をピンと立て、黒光りした毛並みに包まれた身体は見るからにしなやかで敏捷そうだった。そしてドーベルマンは、降りてくるや否や僕に向かって猛烈に吠え立てた。もし警官が手にした綱を離せば、僕はこの黒い狩人の餌になることは目に見えている。大罪人の気分である。  近づいてきた警官はスピードがどうのと言っていた。ドーベルマンは吠えることこそやめたものの、警官の隣に座って僕を凝視している。犬好きの僕は普段から犬を見ると手を出したくなるのだが、到底そんな気にはなれなかった。
「免許証と登録証を出して。」
 警官に言われて、僕はシートに縛り付けてあるバッグのゴムを解いた。バッグを地面に下ろして中をまさぐる。登録証などはバッグの一番底だ。すると、警官は一歩引いて腰の拳銃に手を当てたようだった。その様子が視界の隅に入っていた。またしても大罪人の気分である。スピード違反くらいで撃たれてはかなわないので、僕は彼に奥までよく見えるようにバッグを大きく開いて、慎重に登録証と国際免許証を取り出した。
 彼は、じっと書類に目を通していた。D・Cで受け取った書類を警官に見せるのはこれが初めてである。登録証は白でもなく黒でもなくグレイだと言われているので、その辺りが僕には気掛かりだった。ここでまたオートバイを没収されるようなことになると、時間や金銭的余裕はおろか、オートバイを取り戻す為の気力すら僕には残っていない。ちらと脇に目をやると、ドーベルマンはまだ僕を睨んでいた。
「こいつは僕を悪党だと思ってやがる。それとも食ってやろうと考えているのか。」
 スピード違反をしたことに違いはないが、日本なら白バイ隊員でも最近は応対がソフトになっている。違反の程度にもよるだろうが。しかし、今の状況はあまりにハードだった。
 顔を上げた警官は、書類を僕に差し出した。
「あまりスピードを出すなよ。」
 彼は笑みを浮かべてそう言い残して、踵を返してパトカーに向かった。ドーベルマンも軽い足取りで彼について行った。無罪放免である。海外からの旅行者という事で大目に見てくれたのかも知れないが、あまりに予期せぬ展開に却って僕は呆気にとられた。僕は、走り去るパトカーを感謝を込めて見送った。手の一つでも振りたいような気分であった。


 ターン・パイクからSTATE41に入る。地図を見ると、半島の西側に出るにはこれが一番の近道のようだった。西に向かって走っていると、立体交差があり、下りた先に信号があった。それからしばらくすると、また信号があった。同じ州道でも一本道で流れの速いところもあるが、ここのように交差点が多く頻繁に停車させられるところもある。半島の西側までまだ一〇〇マイルはあろうかと言うのに、これでは時間がかかり過ぎてしまう。ここは今の内に引き返して、二〇マイルほど北を走るI−75を利用したほうが良さそうだった。引き返すのは好きではないが、僕はUターンして走って来た道を戻った。
 I−75は、腰丈ほどの草が茂る中を一〇〇マイル先まで真っすぐに走っている。道路は空いていた。距離を稼ぎたいのでスピードを上げたかったが、さすがにここは我慢した。またどこで捕まるやも知れない。法定速度をほぼ守って走っていると、追い上げてきた乗用車がそのまま僕を追い越して行き、やがて見えなくなった。一〇分ほどしてから再び見かけたその乗用車は、まんまとネズミ捕りに引っかかっていた。
 茂みの奥にパトカーを隠し、スピード・ガンのような機械を抱えている警官を、半島の西に着くまでに二度見かけた。どこだか忘れたが、交通違反の罰金を主な財源としている州がアメリカにはあるらしい。それがフロリダ州かどうかは定かではないが、もしこのハイウエイを走る機会があったらくれぐれも御用心を。
 半島の西側に着く頃、時間は午後三時を過ぎていた。やがて小さな町が現れ、「76」や「テキサコ」と言ったガス・スタンドの看板が目に入った。燃料は四分の一ほど残っていたが、僕はここで給油に立ち寄ることにした。
 埃っぽい道路を走って着いたスタンドは、トレーラーが何台も止まって休憩する大きな所だった。僕は給油を済ませ、コーラとスナックを買って表に出た。途中で一度雨に降られたが、この辺りはよく晴れていて蒸し暑い。僕はジャケットを脱いで、大きな木の陰にオートバイを運んだ。乾いて埃っぽい地面のそこだけまだ水溜まりが残っている。気まぐれな天気だ。僕はコーラを片手に腰を掛けた。蒸気機関車のような音を立てて、車体をきしませながら一八輪の巨大なトレーラーが出入りする。給油を済ませると、並んで停車しているトレーラーの間にくの字に折れ曲がって身をよじらせながらバックで入ろうとする。ブレーキやアクセルの操作の度に車体は身震いするように左右に揺れる。巨体が収まると、周囲を威嚇するように圧縮した気体を吐き出して静かになった。まるで化け物のようで、とても人が運転しているとは思えない。

 日が沈む前に行ける所まで。そう思って走っていたが、タンパ湾を越える辺りで低くかぶさった雨雲に行く手を阻まれ、辺りは急激に暗さを増していった。今日はこれ以上走ることを諦めて、僕はタンパのダウン・タウンに通じるランプでハイウエイを降りた。


 今は、モーテルの近くのレストランで、食事を済ませてウオッカをなめながら日記を付けている。一五分程前に猛烈な雨が降り始めた。ウエイトレスは、腰に両手を当てて窓の外を眺めたままでいる。他の客達も、食事は済んでいるようだが誰も店を出ようとはしない。モーテルはほんの目と鼻の先なのだが、これでは僕も帰るに帰れない。八月三一日。時刻は午後八時四〇分を少し過ぎたところだ。日本は今、九月一日の午前九時四五分。学生諸君はちょうど憂鬱な新学期を迎えている頃か。




走行距離 七二六km/一一四八九km
八月三一日 二〇:四五


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