WASHINGTON D.C. 1st day
ボルティモアを出発、I−95Southを走る。
三〇分ほどでボルティモア・ワシントン・パーク・ウェイに入り、続いてU・S50へ入る。このU・S50が、ニューヨークAveと名前を変えて、そのままホワイト・ハウス前へ続く。
ガイド・ブックに従って走れば、このようにワシントンD・Cへは簡単に行けるはずだった。しかし、いつの間にか通りの名前はニューヨークAveではなくマサチューセッツAveとなっていた。どちらでも大差はないのだが、どこでどう間違えたのやら。
ワシントンD・Cを走る道路は、碁盤の目状のものと、サークルやスクエアと呼ばれる一〇ほどのロータリーを中心とした放射状のものとに分かれている。
碁盤の目状の通りは、南北に走る通りに6th.Stや、16th.Stなどの数字が、東西に走る通りには、F.Stや、M.Stなどアルファベットの名前が付けられている。そして、放射状になった通りには、コネティカットAveやマサチューセッツAveなど州の名前が付く。
まるで僕の人生のようにいつの間にか道を間違えて走っていると、デュポン・サークルという大きなロータリーに入った。いくつもの通りがここから出ているが、僕の人生なら、おそらくここには出口はないのだろう。
ロータリーを完全に一周する少し手前で、僕はコネティカットAveに出た。そして、そのまま直進するとホワイト・ハウスの北西の角に出た。
ホワイト・ハウス前の歩道は幅が広くとられ、先端に矢じりのようなものがついた金属製の柵で敷地と仕切られていた。きれいに整備された芝生と真っ赤な花に囲まれた噴水の奥にホワイト・ハウスは建っている。正面の通りには“駐停車禁止”の標識が立てられていた。
「これがホワイト・ハウスか。」
ここに、アメリカ大統領が住んでいる訳だ。こうして建物を見ることはできるが、この中で行われていることは僕の人生からすればまるで関係のないことだ。
それからは、ワシントン記念塔やキャピタル(国会議事堂)を訪れた。これまでに訪れた都市では、観光名所(国会議事堂を観光名所と呼ぶのも抵抗があるが)を巡るようなことはあまりしなかったが、ここワシントンD・Cではガイド・ブックに載っているような所ばかりをくまなく見て回った。落ち着きのある美しい街並みのせいか、或いは、アメリカの威厳のようなものをそれらの建物に感じるのか。
モ−ルと呼ばれる芝生を敷き詰めた広い公園の中に、緩くカーブした細い道が通っている。その先の若干小高くなった丘の上には、一本の大きな樹とたくさんの星条旗に囲まれて、純白のワシントン記念塔が建っていた。一六八mの高さを持つ塔の下に立つと、それは天を突くように高かった。
幅一km、奥行きが六kmもあるモールを前に、その奥にたたずむ真っ白なキャピタル。ここでは、どれもが堂々としていて美しかった。その他にも、FBI本部や中央省庁、最高裁判所なども付近に隣接している。ポトマック川を越えれば、ペンタゴン(国防総省)だってある。
やはり、単に巨大な権力に弱いだけのようだ。
僕は、オートバイ・ショップを探すべく郊外へと出ることにした。スプロケットを交換しなくてはならないが、日本でも霞ヶ関のど真ん中にバイク屋はないのだ。
ポトマック川沿いに、三次元で複雑に交差して流れる道路の中の一番低い通りを走った。この辺りだけ雨でも降ったのか、路面が濡れていて、コーナーと坂が多い道路でタンクを挟む股やハンドルを握る手が緊張する。
規則正しく並んだ通りを北東の方角を目指し、ニューヨークAveまで出る。小さな公園の横でオートバイを停めてガイド・ブックを開いていると、公園の中から話しかけてくる声がした。
「ナニヲサガシテルンダ?」
見ると、汚れたシャツを身にまとった初老の男性だった。そばにも同じような格好の男性が三人、ベンチに腰掛けている。どうやら住居を持たない人達のようだった。
この堂々として美しいだけに見える首都にも影はある。
アメリカ南部での人種紛争をきっかけに、この都市にも黒人が流入し始め、一九六〇年代には深刻な黒人暴動が起こった。次第に、白人は郊外や隣のメリーランド州に移るようになり、省庁・大使館に隣り合わせた場所に幾つかのスラムだけが残された。
現在も、ワシントンD・Cでの人口に対する黒人比率は六五パーセントを越えている。そして、以外に思われるが、ここでの殺人は全米の中でも非常に多い。
こう書くとまるで黒人が悪者のようだが、全ては白人が招いたことである。
過去に、奴隷としてアフリカからアメリカ大陸に連れて来た黒人たちを、白人は家畜同然に扱ってきた。その後の長い戦いで人権を勝ち取った黒人だが、黒人差別主義の団体が結成され、黒人に対する暴力が日常的に繰り返された。表向き白人と平等の人権を勝ち取った黒人だったが、現実には白人と同じバスに乗ることすら許されず、職に就いて満足な収入を得るなどかなうことではなかった。
自然と貧しい者達が集まって暮らすようになり、そこに自分たちの町をつくる。貧困から子供達は満足な教育を受けることが出来ず、町は常に荒れていた。そして、それが何世代にも渡って繰り返されてきた。なぜ、自分たちはこのような生活を強いられるのか?それに対する彼らの答えは、白人にあった。
三〇〇年以上に及ぶ隔壁は大きく、互いの衝突を招くその壁が取り除かれるには、今後相当の年数を必要とするだろう。
「この辺りにバイク屋はないですか?」
正確には、モーター・サイクル・ショップと聞いたのだが、僕の質問に四人の男たちは顔を見合わせてしばらく相談をしていた。
「この辺りにはないんじゃないか。」
「そうですか。ありがとう。」
手を挙げてあいさつをすると、彼らも小さく手を振った。
「気を付けてな。」
そう言った言葉を僕は背中で聞いた。
ニューヨークAveを西に向かって走っていると、制服を着た黒人警官の姿をニュージャージーAveとの交差点に認めた。彼のそばまで行ってオートバイを止め、僕は先ほどの四人組にしたのと同じ質問を彼にした。
「この町にバイク屋はないな。メリーランド州のシルバー・スプリングに行けばあるよ。」
「シルバー・スプリングですか。そこへはどうやって行けばいいですか?」
彼は、シルバー・スプリングまでの道順を、僕が持っていたガイド・ブックの地図に記してくれた。そして、シルバー・スプリング、メリーランドとアルファベットで書き加えた。
「ありがとう。」
こうして、“空白の四日間”へと僕は向かって行った。
「おい。プレートはどうした?」
片側二車線の一方通行の道路だった。
右車線を走ってきた僕は、左側の車線で信号待ちをしているパトカーの横に並んで停車した。その時、その声は聞こえてきた。
声のした方向に目をやると、痩せた黒人の警官が、パトカーの中から助手席越しに僕に鋭い視線を向けていた。
「I have a lost!」
僕はヘルメットのシールドを上げ、パトカーに向かって大声でそう言った。しかし、用意していたその言い訳が通用する雰囲気ではなかった。
「向こうへオートバイを寄せて止めるんだ。」
警官は、厳しい表情でそれだけ言った。
信号が青に変わり車が進み出した。前の車に続いて、交差する同じく一方通行の道路を右折しながら僕はパトカーにちらと目をやった。逃げようと思ったわけではなく、安全確認のために目をやったそのついでだ。すると警官は、痩せて窪んだ目から刺すような視線で僕を凝視していた。黒人独特の大きな目だ。それも、目と眉との間隔の広い目ではなく、眉が目の上に被さったような目だ。僕の挙動に全神経を集中させ、まるで、獲物を逃がすまいとする肉食獣のように殺気立っていた。
「オートバイはすばしっこいからな。逃げられるものなら逃げてみろ。撃ち殺してくれるわ。」
まるでそんな風だった。
「パスポートと、免許証。オートバイの登録証も見せろ。」
バックを開いて、僕は言われた通りにした。
「プレートはどうした?」
警官の同じ質問に、僕も同じ答えを返した。
「無くしました。」
うつむいてパスポートを見ていた警官は、顔の角度をそのままに目だけをこちらに向けた。まるで信じていないようだった。
やおら警官はパトカーに向かって歩き出し、無線をとって何やら話を始めた。そして、無線を置いてからもそのまま車内に残った。それを見ていた僕は、望みのないことを悟った。
L・Aを出発してすぐに、何台ものハイウェイ・パトロールに追い越された。カナダへの国境だって越えられた。どこだったかの田舎で、警官にコイン・ランドリーの場所を訪ねたこともある。ついさっきも警官に道を聞いたばかりだ。それでも、今まで何事もなかったのだが。まるで悪夢だった。少し調子に乗りすぎていたらしい。これから一体どうなるのやら。
オートバイに腰を掛けて考えてみた。しかし、日本なら大体の想像もつくが、ここではどうなるのかさっぱり分からなかった。ただ、これでこの旅も終わりかなと漠然と感じていた。
しばらくすると、また別のパトカーが現れた。そして今度は、背の高い腹の出た白人の警官が降りてきて、僕に一瞥をくれた。嫌なタイプだと思った。
二人の警官はしばらく話をしていたが、やがて、黒人警官の方はパトカーに乗って走り去った。後の処理を任されたらしい白人の警官が僕の方へ歩いて来た。
「☆◆*◇◎〇★※□△!?」
突然、彼の口からよく聞き取れない言葉が発せられた。
「よく英語が分からない。」
僕がそう言うと、彼はいっそう語気を強めた。
「そうか。お前は英語が話せない。でもな、俺も日本語は話せないんだよ。」
今度は聞き取れた。明らかに彼は激高した様子だった。
「知るかよ。」
その言葉はもちろん口にはしなかったが、やはり嫌なタイプの男だった。自分の持っている権力を自分自身よく心得ていて、それを傘に己の自尊心を満たして満足するタイプだ。傲慢で鼻持ちならない奴だ。
言い訳を並べても逃げられそうにないことは雰囲気で理解できた。この皮膚のたるんだ警官に懇願する気にもなれない。クドクドと話をやめない警官に、僕は嫌悪感だけを抱いていた。
やがて、警官に促されて、僕は大型のパトカーの助手席に座った。違反切符を切られる時にパトカーの後部座席に座らされた経験はあるが、助手席は初めてだった。しかも右側にある助手席だ。貴重な経験ではあるが、はしゃいでいる場合でもない。僕は、無線や訳の分からないスイッチ類など、一般車両にはない様々な装備をただ眺めていた。
黙ってパスポートを見ていた警官が急に口を開いた。
「お前、カナダへ行ったのか?」
ナイアガラの滝を見に行った時、カナダへ入国した事を示すスタンプがパスポートには押されている。
「ええ。」
「全く、どうなってんだ。」
ため息をついた警官は、おおげさに呆れたような仕草をした。
(お前だけだよ、いちいちうるさいのは。)
二人の会話はそれで終わった。
お互いに黙ったまま、そうしてどのくらい経ったろうか。交差点を曲がってきた一台のレッカー車が目の前で停車した。
(なるほど)
状況は最悪だった。レッカー車を見て警官は車から降りた。
レッカー車からも、つなぎを着た髭面の大男が降りてきた。しばらく警官と話をして、GPZをレッカーのけん引車に乗せる作業を始める。僕はただ、フロント・ガラス越しにその作業を眺めていた。絶望的だ。GPZはレッカー車に持って行かれる。次は僕自身だが、どうなることやら。
GPZを乗せたレッカー車が走り去り、警官がパトカーへ戻ってきた。
「お前はエンバシーへ行け。」
「エンバシー?」
エンバシ−、何だそれは?
警官の顔にみるみる苛立ちが募ってくるのがはっきりと見て取れた。気の短い男だ。
「あーそうだ、ジャパニーズ・エンバシーだ。とにかく行け。」
そう言って、彼は僕を乗せたままパトカーを発進させた。ついさっきまでヘルメットの中から見ていた風景は、今は全く違うもののように心に映った。
(もう、オートバイに乗って見ることはできないのだろうか?)
パトカーが着いたのは駅だった。そして、僕はここで降ろされて、警官と二人で駅の構内に入った。制服を着た駅員らしい黒人の男に警官は話しかけた。
「プレートも付けずにバイクで走っていたんだ、まったく。」
おおげさに手を広げ、楽しそうに警官は話していた。どこまでも嫌な男だ。警官を見る駅員は無表情でシラケきっていた。「その程度の事で騒ぐな」そんな表情だ。
やがて警官は、その駅員から受け取った紙切れと自分の名刺を僕に渡した。紙切れには、無料で列車に乗ることができるというような旨の事が書かれスタンプが押されていた。名刺には、“Montgomery Country Government”と、その下に彼の名前、署の住所などが書かれている。その嫌な顔を忘れる事がないだろう彼の名は、ジェラルド・A・バーロンとあった。
オートバイこそ持って行かれたものの、罰金や何のペナルティもなくあっさりと解放されたことは全く意外だった。これなら何とかなるかも知れない。かすかな希望の光が見えてきた。
ジェラルドに見送られて僕はホームへ入った。一〇駅目で降りればいいとジェラルドに教えられている。ホームに立って間もなくすると、電車が滑り込んで来た。車内は東京で乗っているものと大して変わりないが空いていた。おそらくジェラルドは、僕が電車に乗り、その電車が動き出すまでそのまま立っているだろう。そう言う男だ。でも僕は、彼が立っているだろう方向には目を向けなかった。
荷物とヘルメットを抱えて座席に座る。自分で見ても変だ。絶対に浮いている。少ない他の乗客が、そんな僕に好奇の目を向けないのがせめてもの救いだった。
駅を出て、客待ちをしているタクシーに乗り込んだ。
「ジャパニーズ・エンバシーへ。」
すぐに到着した建物は、整然とした静かな通りに面して建っていた。建物の正面に、英語と日本語の両方で文字が書かれている。
“JAPANESE EMBASY 日本大使館”
「なんだ、大使館のことか。」
インターホンを押すと、女性が英語で応答した。しかし、僕は何から説明すればよいのか一瞬言葉に窮した。
「えーと。日本人の旅行者なんですが。」
「はい。」
女性の言葉が日本語に変わった。
「えー、トラブルがありまして。地元の警官にここに行くように言われたんです。」
「・・・はあ。領事に御用ですか?」
「はい、多分。」
応接室のような部屋に通されて待っていると、しばらくして男性が入ってきた。四十歳くらいの割と小柄で優しそうな、どちらかと言えば押しの弱そうなタイプだった。
「領事の細川です。」
向かいのソファに腰を掛けて、彼はそう名乗った。
領事官という職業の人物に会うのは初めてだった。きっと居丈高の人物だろうと思っていたのだが、どうやら僕の想像は間違っていたようだ。
「どうしたんですか?」
領事の質問に、L・Aからオートバイで走って来た事、そのオートバイにプレートがなかった事とその理由、そして、先ほど警官にオートバイを没収されここに行くよう言われたことまでを、僕は順を追って説明した。
話を聞いていた領事は明らかに呆れていた。そして、どうしてそんなことをしたのかと彼は言った。
「後戻りは出来なかったので。」
そう答えるより他にない。
「どうするんです?」
「なんとかオートバイを取り戻して旅を続けたいと思っています。」
「そうは言っても、私にもどうすればよいのか。」
何をどうすればよいのかは、彼にも分からないようだった。あきらめて帰国するつもりはないのかとも言われたが、何もせずにあきらめることも出来ない。しかし、今は頼りの領事官は歯切れが悪く、力になってもらえそうにはなかった。もともと自分のまいた種だが、やはりお役所かという思いが募ってきた。
結局、小一時間彼と話し合ったが、解決策は何も見いだされなかった。
「とりあえず近くのホテルを予約するので、そこで待機して下さい。」
僕は、彼の名刺を受け取って席を立った。
細川氏に送られて玄関まで出ると、学生風の若い日本人が三人、ドアを入った所に立っていた。身なりから、彼らも日本からの旅行者のようだ。
「久しぶりだな。元気か?」
細川氏が三人の中の一人に声を掛けた。どうやら知人か親類のようだった。細川氏は、はるばる日本からやって来た訪問者にたいそう喜んでいる。僕は、軽く会釈をして大使館を出た。
「こんなものか。」
そう思った。
大使館から徒歩で三〇分程のコネティカットAve沿いに、クオリティ・ホテルというホテルがある。日本大使館御用達なのかも知れない。御用達とは言っても紹介する客によってレベルがあり、おそらくここはレベル1と言ったところだろう。大使館を出るときに、何かあれば連絡する、予約を入れてあるのでこのホテルに滞在するようにと言われ、僕はここまで歩いてきた。
自動ドアを入りと、正面のフロントに二人の女性が立っていた。大使館で予約をしてもらっている旨を告げる。
「料金は?」
「大使館の割引料金で、一泊八十ドルと税金が八ドル八十セントです。」
「そうですか。」
ホテルなのだから仕様がないが、お得意様割引でも今まで泊まってきたモーテルの倍だ。
「モーター・サイクルですか?」
ヘルメットを抱えている僕を見て彼女は聞いた。
「僕のモーター・サイクル、えー、ポリスマン。」
それから、横取りするようなジェスチャーをすると、彼女たちは顔を見合わせて笑った。部屋のキーを受け取ってエレベーターに乗る。キーに書かれている五〇三号室のドアを開けると、さすがに中はゆったりとしていてきれいだった。荷物を床にほうり出し、取りあえずベッドに腰を掛けた。
「どうしようかな、これから。」
一時間ほどほどすると電話が鳴った。受話器を取るとオペレーターの声が聞こえてくる。大使館からの電話らしかった。つないでもらう。
「石川です。」
「細川です。先ほど警察署に電話をしてみたのですが、プレートを付けるまでオートバイは渡せないということでした。」
「そうですか。」
「どうします?」
どうしますと聞かれても・・・。日本なら思い当たる限り片っ端から電話を掛けるのだが、アメリカでは車両登録のシステムからして分からない。何から始めればよいのかなど皆目見当つかないし、おまけに言葉も不自由ときている。大使館ならせめて登録の方法くらいは調べられるだろうと少しは当てにしていたのだが。
「出来るだけ手を尽くしてみます。」
そう言って受話器を置いた。
思い出して、保険会社の小冊子を取り出してトラベルサービスに電話をしてみたが、さすがにこの状況では力になれないとのことだった。
次にL・AのT・C社に電話をしてみた。
「石川と言います。笹川さんはいらっしゃいますか?」
しばらくして笹川氏が電話に出た。数時間前に起きたことを彼に説明する。
「L・Aを出る時、プレートは無くしたことにしようと出発したのですが・・・。」
僕が話し終えると、電話の相手の話し方が変わった。
「手段の一つとしてそういう提案はしたかも知れないが、ウチとしては特に勧めた訳ではないよ。」
彼の考えていることはすぐに理解できた。
アメリカは訴訟の国だ。日本では考えられないようなことも裁判に訴える。以前、ファースト・フードで買ったコーヒーを運転中にこぼして火傷を負った女性が、店を相手取って裁判を起こしたことがある。結局、熱すぎるコーヒーを出した店が悪いと、店側に賠償金の支払いを命じる判決が出た。日本では考えられないようなことだ。
T・C社が、会社として違法な行為を勧めたとあっては問題もあるだろうし、アメリカ人的な発想をすれば、僕の立場なら訴訟を起こしても不思議ではないだろう。アメリカで会社を経営しているだけに、笹川氏はやはり敏感に反応したのだ。
しかし現実に、アメリカでの車両登録の手続きは取ってあると書かれたファクスを、輸送を依頼したD社から日本を発つ前に受け取っている。D社から送られてきたその旨の書かれた文書も、僕は確かにT・C社で見たのだ。T・C社はそれを承知でアメリカ側での仕事を引き受けたのだから、責任がないとは言えないはずだ。
訴えれば僕に分があることは十分に考えられる。しかし、そんなことを追求しようと思って電話をしたわけではない。
「そういうつもりで電話した訳ではないんです。笹川さんにはお世話になりましたし、自分で判断してのことですからそれはいいんです。」
日本人らしい義理人情的な台詞を僕は吐いた。全てに於いてそういう考え方をする訳ではないが、少なくとも何人かのT・C社の社員と親しく接したのだ。もめるつもりはない。ただ、T・C社やD社にも責任があることは明らかなのだ。プレートを付けずに走り出したのは自分の判断だから、そのことで人は責められない。しかし、きちんと料金を支払ったにも関わらず、そうなる迄の手続きを怠った責任は彼らにある。笹川氏がこれ以上そのことにこだわるようなら、僕の考えも変わっていただろう。
「何か解決策はないか、それを伺おうと思って電話したんです。」
その質問に対して、笹川氏の答えはあっさりしたものだった。
「それは、旅行をあきらめるか、弁護士でも雇うしかないんじゃないか。」
僕は、感情を押さえて、丁寧に断ってから受話器を置いた。
(弁護士を雇う?そんな金が右から左へと出てくるものか。)
何の解決策も見つからないまま、早くも日が暮れようとしていた。ここに来るまでに二度大雨に降られたことがあったが、その中でひとつ学んだことがある。大陸で降る雨はそれは猛烈だ。しかし、そんな時は無理に雨雲を突っ切るのではなく、コーヒーでも飲んで雨が過ぎるのを待てばいい。あわてても仕様がないということだ。今はこれ以上考えても疲れるだけだ。行動するのは明日になってからにしよう。
そういう訳で、今はホテルの一階にあるレストランのテーブルに向かってこれを書いている。ウェイターいわく“今日のお薦め”のサーモン・ソテーを平らげ、これからブランデーを注文しようと考えているところだ。
起こってしまったことは仕様がない。決してこの旅を中断したくはないが、後はやれるだけやってみるだけだ。これもいい経験かも知れない。
ウェイターがテーブルにやって来た。なに?マーテルはブランデーじゃなくコニャックだ?いいから早く持って来い。
走行距離 不明
八月二三日 二〇時四五分
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