WASHINGTON D.C. 3rd day
八月も残すところ後わずかとなった。
「夏休みも残り一週間か。」
子供の頃は、この時期になると毎年そんなことを思っては憂鬱になっていたものだ。社会に出てからは、今回は特別として半月や一ヶ月単位の長い休暇を取れることなどなかった。
今になって思えば、学生の頃は一年の中に幾つもの節目があった。
春は期待と緊張を胸に新年度を迎えた。クラスが変わり、同じ教室で机を並べる連中の顔触れも変わった。クラス・メイトとなる女の子の名前は、また格別に気になったものだ。新しく揃えたノート・ブックや、くたびれから真っさらに替わった教科書も新鮮だった。
新しいクラス・メイトの顔ぶれにも慣れてきた七月の後半。長い夏休みがやってくる。小学生の頃は、スタンプを集めるために毎朝の体操と学校のプールに通い、午後はそこいら中を駆け回った。中学に入って僕は陸上部に席を置いたので、灼熱の太陽の下を毎日走っていた。さすがに暑さはこたえた。しかし、普段放課後に行われる部活動とは違った開放感があった。部活動が終われば、友達と海やプールに出掛けた。ずっと通してあの頃に見ていた夏の空は、澄みきっていてやけに眩しかったような気がする。
九月。二学期が始まり、久しぶりに見るクラス・メートの顔はどれも真っ黒に日焼けしていた。日焼けの度合いは、夏休みをいかに楽しんだかの証でもあった。楽しい夏を過ごした事の充実感が、皆の生き生きとした瞳の輝きには表れていた。
校門の銀杏並木が紅葉し始めると、運動会や文化祭が始まる。学年によっては修学旅行の時期でもあった。この時ばかりは退屈な学生生活も捨てたもんじゃないなと思えた。
やがて年の瀬を迎え、冬休みと共にクリスマスがやってくる。子供の頃のクリスマスに対するイメージは今とはまるで違う。僕の場合、誕生日が重なるので尚更なのかも知れないが、華やかで暖かいものだった。プレゼントも、もちろんとっておきの楽しみである。
そして正月。普段会えない親戚連中が集まって我が家は賑やかになり、懐はお年玉で潤った。三が日の朝食の時に限っては、お神酒だと言って僕たち兄弟の食卓にも盃が置かれた。当然、その当時は酒は旨いものではなかった。自宅が学校に近かったので、親戚連中と学校のグラウンドで凧上げをしたりもした。冬の冷えた空気の中にも、厳かで心温まるものがあった。
三学期が始まってしばらくすると、卒業式や入学式の練習が行われるようになる。出会いと別れの時期を感じて、子供心にもセンチになったりしたものだ。
他にも、衣替え、学期テスト、クラブ活動の地方大会などたくさんのイベントや節目があった。そして、季節の移ろいも敏感に肌で感じ取ることが出来た。
しかし、社会に足を踏み出した日から、一年の中での節目が次第に少なくなってくる。いつの間にか季節感が薄らぎ、暑い、寒いと言いながらもやっていることは一年を通して変わらなくなる。そのせいか、気が付けばいつの間にか年月だけが過ぎていたという事になる。やはり、これでは勿体ない。せめて、季節に合った趣味を持てばどうだろう。風の匂いに季節の移ろいを感じた時、楽しかった思い出が蘇り今季への期待が涌いてくるかも知れない。そうすれば人生の年輪がぼやけたものでなくはっきりとした形で残るかも知れない。
電話のベルの音で起こされた。時刻は午前八時を回ったところだった。
「おはよう。」
相手はブーツさんだった。
「昨日、警察署に電話してみたんだけどね。やっぱり、プレートが無いと返してくれないみたいね。」
「そうらしいです。」
「いろいろ調べてみて、夕方の四時頃また電話するわよ。」
短いやり取りで会話は終わった。相手が通話を切ったのを確認してから、僕も受話器をフックに戻した。
「夕方四時か・・・。」
それからでは何も出来まい。一日が始まった時点で、今日一日が何の進展もなく過ぎ、時間だけがたっぷりと余ったという事が決定したわけだ。
だからと言って、電車やバスを利用して市内観光に出る気にもならなかった。
「宿泊を延ばしたいのですが。」
僕は、階下に降りてフロントの男性にそう告げた。一昨日は愛想のいいキュートな女性が二人いたのだが今日は違っていた。
昨夜の宿泊代を精算するために、男は脇に置いてあるコンピューターのキーを叩き始めた。何系だろう?キューバか?メキシコか?それにしても、人を小馬鹿にしたような無愛想な男だった。有色人種は、時に他の有色人種に対して差別意識を持つことがあるらしい。その類なのだろうか。僕にはそんな意識はないが、まったく人を苛つかせる男だった。この手の人間に関わっても、損こそすれ得をすることなど何一つない。
用紙を、相変わらずの無表情のまま男はカウンターに置いた。ホテルのフォーム用紙にプリンタで印字された文字を見ると、一番上の欄には、「ISHIKAWA KAWYA」と書かれていた。
「いしかわ かうや?」
別にどうでもいいが。
精算を終えて部屋に戻る。ラジオをつけて煙草を燻らせていたがどうにも退屈だった。休みに家でのんびりしているのとは訳が違う。何かしていなければ落ち着かなかった。
僕は、吸いかけの煙草をもみ消して、部屋の鍵を手にホテルを抜け出した。
ホテル前のコネティカットAveを南に向かって歩いた。
ワシントンD・Cは日本の宮城県仙台市とほぼ同じ緯度にある。冬の冷え込みは厳しいらしいが、この時期の平均気温は最高三〇℃最低でも二〇℃と割合高い。湿度も高く、陽射しを受けて歩いているとかなり暑かった。ただ人通りがまばらなのでゆっくりと歩を進めることができ、多少の汗はかいてもその汗が額を流れることはなかった。街並みに落ち着きがあり、街路樹などの緑が多いことも涼感を与えてくれた。
しばらく行くとデュポン・サークルに出た。この街にやって来た日に迷い込んだ場所である。ここに来るのは二度目という事になるが、オートバイに乗っていた時とはまるで違った場所に見える。そして、ここにメトロの駅があったことにも今初めて気が付いた。
「あら?一昨日降りた駅じゃないのか。」
そうだ。ここは、オートバイを没収されて、大使館へ行く際に降りた駅だった。これで、三度ここに来たことになる訳だ。同じ場所も、その時の気分や視点で随分と違って見えるものらしい。
直径二〇mほどで丸くぼっかりと空いたメトロへの入り口は、一メートルほどの高さのコンクリート塀に囲まれていた。その塀に沿って、青、黒、白などの背の低い金属製の角張ったボックスが並んでいる。新聞の販売機だった。販売機と言っても、アナログ式というか手動式の質素なもので、アンティーク・ショップにでも置かれていそうなものだった。「ホーム・ガイド」「無料」と書かれたボックスだけは既に空になっている。
そばには、オープン・スペースになったカフェ・レストランが営業をしていた。周囲に茂る樹々に合わせてか、緑色の屋根を乗せ、同じく緑色のパラソルを軒先に広げている。パラソルの下の、涼しそうな日陰の席は満席だった。どこを見ても、ここは街並みが落ち着いていて美しかった。
メトロの入り口をのぞいて見る。階段とエスカレーターが伸びているが、下までは結構な距離がある。おまけに暗い。
「こんな所を上って来たかな?」
まるで当てにならない記憶力だ。
トコトコと長い階段を降りてみる。上りも階段ならいい運動になるだろう。下まで降りてみたが、日本の地下鉄と比べるとやはり暗かった。壁には電光の大きな路線図が掛けられている。路線は、赤、青、黄、緑、橙に色分けされ、それぞれにレッド・ライン、ブルー・ライン、イエロー・ラインなどの名前が付いている。確かにシンプルなネーミングではあるが、果たしてこれが覚えやすいのか覚えにくいのか。それは、住んでみなければ分からない。それぞれの名前に特徴がないと、割合こんがらがってしまうものだ。
ちなみに、日本のシステムとは異なる点が、このメトロには二つある。
まず、時間帯によって乗車料金が違う。平日の、午前五時半から九時半までと、午後の三時から八時までの、いわゆるピーク時は料金が若干高くなる。ゴールデン・ウィークや年末年始などにやたらと旅費がかかるのに似ているかも知れない。
もう一点は、切符がプリペイド・カードのような仕組みになっている。日本のJRなどでも、プリペイ式のオレンジ・カードを販売しているが、こちらは金額を一ドル一〇セントから三〇ドルまで、五セント単位で任意に選んで購入できる。金額の設定は券売機で行う。一〇ドルを越えるカードにはプレミアムが付く。これは、どこの国にもありがちなシステムだ。
構内を一通り見て回り、階段はやはり大変そうなので、上りはエスカレーターを使った。地上に出ると、出口近くに背の高い黒いポールが立っていた。上の方に大きく「M」と書かれ、そのすぐ下を、赤いラインがポールを一周巻いている。さらに下には、縦に横書きで「Dupont Circle Station」と書かれていた。Mはメトロの頭文字で、赤いラインはレッド・ラインを意味するのだろう。これで、地下鉄赤線デュポン・サークル駅という事になるわけだ。「赤線」という訳し方も変だが、つまりはそういうことのようだ。
噴水のある公園の横を抜け、小さなショップが立ち並ぶ通りに入った。ショップを冷やかしながら歩いていると、「日本の雑誌あります」と日本語で書かれたウィンドーの貼紙が目に入った。特別日本の雑誌に飢えていたわけではないが、やはり日本人である僕はふらふらと中に入り二冊の雑誌を買い求めた。次は、CDショップに入って二枚のCDを買った。マイナーなものを選んで買ったつもりだったが、その内の一枚はメジャーなアーティストだったことを後になって知る。これでは、わざわざワシントンD・Cで買った意味がない。
なおも歩いていると、街並みはやがて住宅地へと変わった。頑丈そうな煉瓦造りの瀟洒な建物が両側に並び、歩道には並木の作る木陰が落ちている。通りは少し勾配のある一方通行路になっていたが、車線で区切れば四車線は悠にとれそうな広さがあった。両側には、路上駐車の車がぎっしりと並んでいた。日本、スウェーデン、ドイツ、フランス、アメリカと、車の国籍は実に様々だ。さしずめ、デトロイトの憂鬱と言ったところか。
木陰の歩道を進んで行くと、やがてホテルへ続く通りに出会った。僕はそのままホテルに戻ることにした。
部屋に入り、コーヒーを入れてから買って来た雑誌を開いた。いわゆる写真週刊誌である。この手の写真週刊誌が出回り始めて久しいが、今では似たようなものが何冊も発行されている。初めの頃は珍しさもあって何度か買ったこともあるが、随分と長く読んでいなかい。日本を発ってまだ三週間ほどしか経っていないが、日本語の活字が懐かしいようにも思えた。しばらくページをめくっていたが、暇つぶしにはなるものの、内容の方はと言うとどうでもいいようなことばかりで、すぐに飽きてベッドの上に放り投げた。
電話が鳴った。
時計を見ると四時を回っている。おそらくブーツさんだろう。何か新しい情報が得られたかと、気持ちをはやらせて僕は受話器を取った。
「もしもし、ブーツです。」
「こんにちは。どうですか?」
「んー難しそうね。取りあえず、明日出て来られるかしら?」
「ええ、もちろん。」
ホテルに釘付けは二日でうんざりだった。とにかく、オートバイを取り戻すために何か行動をしたい。
「それじゃあ、朝八時半に。地下鉄にヴィエナって駅があるから、そこで待ち合わせましょう。」
「分かりました。わざわざすみません。」
「いいのよ、こっちは仕事なんだから。じゃあね。」
受話器を置いてから、僕はガイド・ブックを取り出してページをめくった。そして、メトロの路線図にヴィエナという駅を探した。
「ん?これじゃ、全然分かんねえぞ。」
ガイド・ブックには、ヴィエナという地名どころかメトロの路線図すら載っていなかった。まあいい。明日駅に行けば分かるだろう。
昼間歩き通して温まった身体は、部屋の冷房で今はすっかり冷やされていた。汗も引いていたが、一度かいた汗は乾いても身体の表面に残っているようで何となく気持ちが悪い。シャワー後の爽快感を思い出すと居ても立ってもいられなくなり、時間は早いが、僕は浴室に入ってシャワーを浴びた。
短く刈ってあるので放っておいてもすぐに乾くのだが、洗った髪にドライヤーを当てる。L・Aで買い求めた旅行用と書かれた小さなドライヤーだ。スイッチを入れるとブイーンと甲高い音を立てるのだが、その大きな音に反して風量は頼りない。
アメリカに来てからというもの、同じ物を何日も着ることが多い。昨日、シャワーを浴びるついでにTシャツや下着も洗ったのだが、今はすっかり乾いていた。袖を通すと、固形石鹸で洗ったバリバリ感がやけに心地良かった。
シャワーを済ませた後は、流れから言って今度は夕食である。習慣はなかなか変え難いものがある。部屋に煙草の臭いがこもっていたので、窓を開け放しておいてから部屋を出た。何の突起もない壁を、この部屋のある五階までよじ登ってくる強者もそうはいないだろう。もしいたとしても、その類い希な才能と労力に見合うだけの価値ある物など、残念ながらここにはない。もっと、グレードの高いホテルでチャレンジすべきだ。
レストランやカフェの並ぶ通りを昼間見ていたので、僕はその方向を目指して歩いた。夕刻を過ぎて夜に変わり始めた街の空気は、昼間と比べると幾分冷えていた。
目的の通りに着くと、並んだどの店も派手過ぎない程度にライト・アップしていた。レストランやバーなど、歩道から少し奥まったところにある入口ドアからは、通りに向けて落ち着いた色のテントが張り出している。屋根だけのテントだ。きちっとした黒いスーツを着て、つばのある警官のような帽子を被った男性が立っている店もある。「おにいさん安くしとくよ。」なんてことを彼は言ってこない。店の前の通りに車が着けられると、彼はその車まで歩いてドアを開ける。降りてきた客と挨拶を交わし、テントの下を通って店へとエスコートするのが彼の仕事だ。
店頭に出されたメニューを見ながら歩いていたが、比較的低料金のイタリアン・レストランがあったので、僕はその店のドアを引いた。
店内は、壁に取り付けられた幾つかのランプの落ち着いた照明だけで照らされていた。一〇ほどあるテーブルには赤と白のチェックの布でできたクロスが掛けられ、きれいに磨かれたワイン・グラスや数セットのナイフとフォーク、折り畳まれた真っ白なナプキン、そして小さなキャンドルなどがその上に置かれていた。既に男女二組の客がいて、それぞれにテーブルを挟んで食事を楽しんでいた。
「ランチならともかく、ここで一人でディナーとは。寂しいものがある。」
ドアを開けてからの二秒間で、店内を観察してこの考えにまで至った。しかし、状況が後に引くことを許さなかった。「間違えました」「待ち合わせなんだけど早かったかな」。このような常套文句を頭の中で英訳している間に、僕はウエイトレスの爽やかな笑顔に迎えられていた。彼女は、笑顔で人差し指を一本立てた。一人かと聞いていた。
「YES.」
ボトルに入ったクアーズ・ビールをグラスに空けて飲み干した頃、注文していた料理が運ばれて来た。ウエイトレスが、空になったボトルを指して僕を見た。
「もう一本。」
開き直りがアルコールによって加速され、僕は一人であることを楽しんでいた。以前にも、似たような事があった。
数年前の夏、僕は寝袋をかついで一〇日間ほど一人で北海道に行った。昼間に札幌に着いてからあちこちを見て回り、夕方、楽しみにしていたサッポロ・ビール園に向かった。しかし、夏休みに入った時期だったこともあり、知名度の高いビール園は大変な混雑ぶりだった。屋内外合わせて三五〇〇を誇る席も全て埋まり、待ち時間を過ごす人が、大勢辺りに溢れていた。席待ちのための記帳を済ませた僕も、広い庭の片隅で時間を過ごした。小一時間待って放送で名前が呼ばれ、案内されたテーブルは四人掛けだった。店内は、団体やグループ客で騒々しいほどに盛り上がり、ジンギスカンの鉄板の熱も合わさって、熱気でムンムンしていた。外では、まだたくさんの人が席が空くのを待っている。そんな状況の中で、僕は四人用テーブルに一人で陣を取り、紙で作られたエプロンを首に巻いた。そして、大ジョッキに入ったビールをグイグイ呷りながら、次々と運ばれてくる皿の肉をジュウジュウ焼いて、北海道のガイド・ブック片手に一人大いに盛り上がっていたのだ。
思えば、あの時もかなりのハイ・テンションだった。自分が置かれた周囲とはまるで異質の状況からくる緊張感と、その感情から逃避しようとする心の動き。それが、開き直りに近いハイ・テンションを生んだのだ。自暴自棄とも言えるかも知れない。
今の状況もあの時に似ている。そして、不思議とこんな時は酒や料理が格段に旨く、豪快に食事が進む。普段ならもう半分にナイフを入れる大きさのステーキを一口にし、パスタを巻き取るフォークの回転もいつもより二回りほど多かった。少し堅くて甘みのある丸いパンは、適当に噛んだだけでビールで胃に流し込んだ。
食事を終えてバーボンで喉を焼き、煙草の煙を目一杯に吸い込んだ時、僕は目眩すら覚えた。
「食った、食った!」
そう叫んで、腹をさすりながら椅子に踏ん反り返りたい気分だった。そんな僕を、店員や他の客がどんな目で見ていたかは知らない。おそらく、気にも留めてはいないだろう。せいぜい、「よく食べる中国人」くらいだろう。
店を出て、すっかり怪しくなった足取りで帰路に就く。右に左にと、直線的に歩かないためか、ホテル迄の道のりはやけに遠かった。
無事部屋に戻り、日記をつけるためデスクに向かった。ふらふらした頭で、今この日記を綴っている。ラジオのスイッチを入れるとカントリー・ソングが流れてきた。ご当地で耳にするカントリー・ソングは何故か心に染みる。
明日はブーツさんに会う日だ。早くオートバイに乗りたい。
八月二五日 二三時三〇分
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